いつまでも幸せに

買い物。母の日に贈るものとか。外出るの面倒だなあと思う自分を無理やり起こし(電車に乗れば本を読めるよ!)賑やかな街なかへ。

家電量販店。行けばなんだかんだ楽しい。目当ての商品を写真に撮り、相談。サプライズより確実性を重視し本人に、

  1. Aの商品
  2. Bの商品
  3. どちらも嫌

で選択肢を投げると、2がいいとのこと。こちらが勘違いしているところがあり、そのまま確認せず買っていたら本人の意に沿わないものを贈ることになっていたので確認してよかった。サプライズは消えてしまったが。

配送伝票を書き終わると、にこにこ顔の別の店員さんがやってきて伝票と商品の確認、そして「最新家電を購入した人にはウォーターサーバーを無料で差し上げます」という話をし始めた。使うつもりはないのだが(仮に使うつもりがあったとしても、私は熟考を重ねたいのでその場でOKはしない)私はへえへえと相槌を打つ。まったくもって罪な客だ。さっさと買わない意思を伝えた方が双方にとって良いはずなのに、わかってて私はにこにことしている。最近のウォーターサーバー事情に明るくないので興味があったのだ。あとはセールスポイントを知ることも。

話を最後まで聞いたところで「どうですか?」と聞いてくる店員さんに被せ気味に「No」を突きつけ、商品の会計と相なった。会計は別の店員さんだったので、にこにこ顔の店員さんはウォーターサーバー売りつけ要員だったのかもしれない。にこにこ顔の店員さんは、去り際もまだにこにこしてて偉いなあと思った。

高いものを買うと店員さんはへえへえしてくる。それが客の優越感みたいなものをくすぐり、自分がましな人間になったかと錯覚するだろうなという気がしていたたまれない。私はお金を払う。相手は商品を提供する。それだけなのに。

 

疲れたので、外の空いてるベンチに腰掛け、ぼうっとする。目の前に宗教の布教に勤しむ男性と女性がいて、穏やかに微笑みを浮かべていた。観光客とビジネスマンの往来が激しい歩道において、その2人のいるところだけ時間の流れが緩やかに感じられる微笑みだった。簡易的に棚に置かれたパンフレットには「いつまでも幸せになれます」とかそんな文言が記載されていた。いつまでも幸せに、かー、と私は空を仰いだ。広葉樹の大きく広がる葉っぱが見えた。幸せになりたいよな、一般的には。幸せってなんなんだろうな。宗教と似ているが、私の幸せのイメージは、焦点を絞ることと、行為自体への充足感だ。難しい。特にその時点では考えたいことでもないので、ベンチから立ち上がる。