現在地

 生活には波がある。何かが凸れば、何かが凹む。私はその凸凹が、許せないといえば許せないが、波があるのは摂理で、甘んじて受け止めねばならない。気まぐれな気質なら尚更。

 私は平気だが、擦り減らないわけではない。摩耗して小さくなった分、何かを補給して膨らむ必要がある。補給するものは何か。エネルギーは、何か。言葉とか、一瞬の安らぎで得られる細かなこと。豚肉の脂身の甘さとか、コーヒーを飲んだときの苦さが自分の背中を押す感覚とか?

 

 かっこいいテキストが書きたいっす。それが最近の流行り。メモ帳アプリに時々書き留めている。それを見て、私が吐き出した短い短い文は、すぐに他人になるのだということを思い知る。気楽だ。私の一部であり、99%くらいは私ではないもの、というか。

 

 作りたいもの。椅子。あとは上履きを入れるための巾着袋。ヨーグルトボウル。シリアルやら果物やらを買い込む必要がある。

 

 ブログの記事を投稿することは、私の中の一つのエンタメである。私がブログを続けることの理由の一つになっていると思う。石を投げること。自分の中の湖に広がる波紋を眺めること。

 

 道には好きなものと嫌いなものが明確にある。私はこの前まで嫌いな道を使っていて、その代替として好きな道を見つけたときは嬉しくなって自分の中で広めた。(「ねえねえ、あの忌々しい道の代わりに人通りも少なくて独り言喋りながら歩けそうな道を見つけたの、すごくない?」)

 

 「リスキリング」というのは、re-skillingということだけど、私はリスとキリングに分けてしまう。killing. この話、前もどこかでした。私の中で面白いことに当てはまるらしい。

 

 回復したい。そのために何ができるか。

靴紐

 母とモールに行く。新しいジョギングシューズを買うのに付き合ってよ、と言って。普段私は買い物に誰かを誘うことはまったくない。それなのに母にお願いをしたのは、疲れたとしても気晴らしになればいいなという、勝手な願いだ。そういう勝手さを、私はもっと持つべきだと思うけれど、遠慮する方が私が傷つかないから楽な方に行ってしまう。

 シューズはアシックスの、初心者用の、横幅が広めなものを即決した。どの靴も今履いている靴より間違いなく品質がいいから(なんてったって、10年くらい前に買ったものだから)悩む要素があんまり無い。予算は確保してたからその中に収まって履きやすければなんでも良い。

 店員のお兄さんがかなり語る人で、靴紐の通し方を教えてもらった。アシックスでは「 2段ハトメ」というらしい、そして他の靴でも採用しているものも多いらしい、2つの穴を利用した靴紐の通し方。あそびができず、より足に靴がフィットするという。実際ぴしっとはまって感動した。こんなの知るタイミングってありますか。「えー穴が二つあるのってなんでだろう」って思わないとなかなか厳しい。物事に疑問を持つことって大事だなと、改めて思った。はがきで郵送できるタイプの店員アンケートが袋に入っていたので、あとで時間があるときに「靴紐の通し方教えてもらって助かりました」と書こうと思う。

 母にスタバのドリンクを奢った。ほうじ茶は嫌いだけど、ほうじ茶ラテみたいなやつは好きなの、と言って、そういうやつを母は頼んだ。スタバ以外のチェーン店があってもいいけどなと思った。選択したい。

光と雲

 今日も世界が綺麗だった。

 私は電車の車窓から見える景色が好きだった。昨日はもう少し雲が多く、しかもそれは立体的で、光を受け止め多様な陰影を作り出していた。夏の夕暮れ、居座り続ける入道雲が最後まで夕日を見つめるのだと知ったとき(それは平地に限ったことかもしれないけど)私は少し興奮し、雲は光を私より一足先に浴びるものなのだとみなすようになる。

 適度に雲が浮かぶ青空はいいね。

怒る

 久々に(というか初めてか)めちゃめちゃ怒った。仕事で。怒りで頭が真っ白になって、席を離れた。そして、しばらく呆然とし呼吸が落ち着くのを待った。自分が何に怒っているのか見定めようとした。自分がなぜ、それに怒っているのか考えた。

 相手の胸ぐら掴んでぼこぼこに殴ってもいいなと思ったし、ああ、こうなったら徹底的にやる、喧嘩する、暴れてやるんだ、仕事は今すぐ終いにしてもう永久に出勤しないのだ、そう思って、考えは泡のように消えた。

 なぜ私が怒ったのか。なぜだろう。なんか、駄目だったのだ。

 日記に「嫌い」と書き続けた。どうしたらうまくできるのかを考えた。回答は生まれず、毎日サンドバッグのような気分だった。スマブラホームランコンテストを思い出した。私はバッドで弱く殴られ続けるのだ。他にも考えたいことがあるというのに!

 翌日、私は既に怒りを忘れかけていることに気づいた。昨日と同じ今日が始まろうとしている。忘れやすさ、飽きっぽいことで、私はここまでのんびりと生きてこれたに違いない。

 次第に私は「怒るべきだったのか」ということについて考え始めた。怒ることは正しくなかった。私に落ち度があった。それを素直に受け入れるべきだった。

 本当にそうかな?

 怒って良かったと思う。相手にその怒りは伝わってないだろうけれど、あの瞬間、私は確かに怒ったのだ。

 怒ることは、大切だ。怒ることは、始まりだ。私は何を始められるかわからないけれど、今日もゆるゆるやっていく。

(にしても、自尊心が削りに削られまくって、肌がちりちりと痛む。痛え。消耗している。ただでさえ疲れているというのに。回復しないといけないが、時を要するし、源流が止まらないと痛みは増える一方だろう。それはまやかしだと思っても、細かい傷はつくものだ)

焼肉

 大腸内視鏡検査を受け、その足で某焼肉店に行く。ひとり焼肉は焼肉ライクで経験済みだけれど(意味がわからないことに、遠く、冬の東海道線沿いの店舗で食べたんだよな。あの日は海を観に行った)いわゆるおひとり様向けを標榜してない焼肉店に単身乗り込むのは初めてだったかもしれない。特に気にしなかった。私は肉を食いたかったのだもの。

 大腸内視鏡検査は前日の食事制限があって、たとえばわかめスープは、わかめとゴマと、ネギがあればネギも駄目だ。それを何も気にすることなく味わえる喜びを、噛み締める。

 ご飯を大盛りにしたのもよかったな。無料だったのでそうしてもらった。胃も大腸も空っぽで、肉をただただ自分のために焼き、ほかほかのご飯とかき込むことの幸せは、大概の悩みを吹き飛ばす。人生は焼肉だ。そんなこともないか。幸せだった。おいしかった。

青いマーカー

 使いそうなものをのぞいて、たくさんの筆記具を捨てた。多色ペンも捨てた。勿体無いけれど。マーカーも、もちろん捨てた。オレンジのマイルドライナーのみを手元に置いて。だのに私は新しいマーカーを欲しいと思っている。そしてそれを買った。99円だ。すごいことだ。そんな安くていいわけがない。私がこのマーカーから得るわくわくの対価が99円なわけがない。

 ということで、可哀想だがオレンジのマイルドライナーはお役御免になり、私はそれを捨てるだろう。「捨てた」と書かないのは、この文章をどこかのカフェで書いているからだ。この時点で、マイルドライナーは私のペンケースに収まっている。

 次に買った素敵なマーカーは、ビビットな青色のマーカーだ。あまりにビビットで、濃い青なものだから、黒のボールペンで書いた文字がよく読めない。まあそれでいいのだ。私にとってマーカーとは見出しであり強調であるのだから。最悪読めなくてもいい。

 私は早速青いマーカーを時折用いながら日記めいたものを書いていく。一時間半ほど経った。そろそろ疲れてしまった。最近ろくに書けたものではないから、溜まってたものをとにかく書いているのだ。もう少しだけ書いて、家に帰ろうと思う。

色のない世界

 暑い。真夏と同じぐらい暑い。が、風は吹いている。が、暑い。

 太陽は南中を過ぎている。光の色が、夕暮れのそれになる。私はその色を見て物悲しくなり、そういえば、と、Spotifyを立ち上げると検索バーに「色のない世界」と打ち込み、ヒットした曲を再生する。リピート再生をタップすることを忘れずに。

 この曲が流れるフィールドは、確かゲーム内時間では夕方に固定されていて、それはもう、とても美しかった。

 真っ白な砂が、朽ちつつある集落を包み込もうとしている。私が今歩いているのは、川沿いの、なんてことない町だけども、心は、そういうモードだった。朽ちつつある。

 これから、美術展を観るつもり。色は、ある。その瞬間はなかっただけで、たぶん、戻ってくる。