生活には波がある。何かが凸れば、何かが凹む。私はその凸凹が、許せないといえば許せないが、波があるのは摂理で、甘んじて受け止めねばならない。気まぐれな気質なら尚更。
私は平気だが、擦り減らないわけではない。摩耗して小さくなった分、何かを補給して膨らむ必要がある。補給するものは何か。エネルギーは、何か。言葉とか、一瞬の安らぎで得られる細かなこと。豚肉の脂身の甘さとか、コーヒーを飲んだときの苦さが自分の背中を押す感覚とか?
かっこいいテキストが書きたいっす。それが最近の流行り。メモ帳アプリに時々書き留めている。それを見て、私が吐き出した短い短い文は、すぐに他人になるのだということを思い知る。気楽だ。私の一部であり、99%くらいは私ではないもの、というか。
作りたいもの。椅子。あとは上履きを入れるための巾着袋。ヨーグルトボウル。シリアルやら果物やらを買い込む必要がある。
ブログの記事を投稿することは、私の中の一つのエンタメである。私がブログを続けることの理由の一つになっていると思う。石を投げること。自分の中の湖に広がる波紋を眺めること。
道には好きなものと嫌いなものが明確にある。私はこの前まで嫌いな道を使っていて、その代替として好きな道を見つけたときは嬉しくなって自分の中で広めた。(「ねえねえ、あの忌々しい道の代わりに人通りも少なくて独り言喋りながら歩けそうな道を見つけたの、すごくない?」)
「リスキリング」というのは、re-skillingということだけど、私はリスとキリングに分けてしまう。killing. この話、前もどこかでした。私の中で面白いことに当てはまるらしい。
回復したい。そのために何ができるか。