フェリーのことを考えよう

「治野さんには期待しているから」

 色々あってランク(仮称)が上がるらしい。それに応じて昇給にするとのこと。私の機嫌はすこぶる悪い。機嫌が悪いのでひとしきり書いたらフェリーのことについて考えようと思う(先日乗ったフェリーのことを)。自分にとって楽しいことについて考えるのだ。

 何故機嫌が悪いのかというと、私はお金のことについて考えるのがものすごく苦手だからだ。労働の対価にお金をもらえるという事実、意味わからんとずっと思っている。多分そういう私は経済について勉強した方がいいのだろうな(だから勉強するね)。

 それはさておき。私は働くのが好きである。そういう性質のことを勤勉と言うのでしょう、人は。どうして好きなのかというと「え、楽しくないですか」と思う。楽しい仕事内容じゃないですけど、でも楽しくないですか。嫌だなあと思える人に遭遇できるし、緊張することもあるし、うまくいかないこともあるし、それも含めて仕事をしてなかったら得られない経験をしているという時点で私はだいぶ働くことが好きなのだと思う。その一方で、会社にこの身を捧げるとかはこれっぽっちも思ってなくて(思う人の方が稀、というのが私の肌感覚だけど)私の仕事ぶりから「この人頼りになるなあ」なんて勝手に誤解されても困る。野心も献身も私には無いよ。

 私は私なりに「仕事」というものを咀嚼しようと日々必死で、そこに対して「昇給」という邪魔者が入ってくるのが気に食わない。だから私は機嫌が悪い。何を言っているのだ?って傍目から見たら思われるだろうな、でも本当にそう思っている。話しかけないでほしい。でも、評価されなかったらされなかったで「この会社大丈夫なん?」って思っちゃうだろうから、人間というのは(というか私という人間は)複雑な生き物ですね。

 極論、私にとっての(今のところの)幸せは「日々の出来事を書き綴ることで見えなかったものに気づく」ことであり、そこにお金って必要?ってなっちゃうのだ。もちろんお金があることで得られるもの行ける場所はあって、それらに関することは書けるかもしれない。けど、お金がなくても見ること行く場所経験することはたくさんある。

 このスタイルは私なりの適応の結果なのだろうか。そうかもしれない。あるとき私は、ぷつんと糸が切れたように頑張れなくなってしまったから。夢に破れた敗者の戯言? でも私は小学生の頃から夢なんて抱いたことなかったけど。

 こういうことを考えると胸のあたりが熱くなって気持ち悪くなる。けど、たまには考えないといけないとも思う。理想家なのだろうと思う。養う家族がいないからね、なんて言われたら言い返す言葉もない。

 

 フェリーのことを考えよう

 フェリーに乗った。2年くらい前から乗りたいと願っていた。折しも川下りの痛ましい事故があった翌日のことであった。まあ、死んだらそのときだ、と思う(もちろんあの事故で亡くなってしまった人たちの運命を「当然だ」と言うつもりはない。私が私以外の人の死を積極的に願うことはまず無い)。でも、私に関してはいつも思う。少し歩けば、往来の激しい道路があって、そこに飛び込んだら死ねるのだ、と。死というのはそれくらい身近なところにあるものなのだ、と。

 フェリーに乗るために、朝6時前に起きて、のそのそと仕度をして電車に揺られて(とても楽しかった)フェリーの片道切符を買った。

 船上では不思議な浮遊感を感じた。そして思ったよりスピードが出る。最上階のデッキに上がると、風がびゅうびゅうと吹きつけて寒さを感じた。春の暖かい日でこの肌寒さなので、冬だとなかなかつらいものがありそうだった。もちろん、多くの乗客は船内のテーブル席に座って悠々と窓越しの海を眺めていた。風に当たりたくなければ当たらなくても済むようにできている。

 

 

 

 心底楽しかった。それは安らぎであり解放であった。私にはたくさんの好きなものがあるし、好きな瞬間がある。それだけで十分で、惑う必要はないのだと思いながらも、confortableな状態を維持するのは難しい。難しいことも書いて咀嚼して考えなければならないのだろうと、思う。