ベティちゃん

 特別なエピソードとして嫌なことがあったわけではないが、かつて通っていた学校の夢を見る時、それは嫌な夢になる。多分、私にとって学校は抑圧の空間だったのだ。概して学校はそういう性質を有するものだと思うけれど。

 その子は名前の知らぬキャラクターに似ていた。名前を調べる。「黒髪 ショート くるくる キャラクター」。日本のアニメキャラクターがごっそりと出てくる。ちがうちがう。海外のキャラクター。多分アメリカ?検索ワードに追加した。ヒットした。

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 ベティちゃんだった。

 その子は今で言う発達障害を持った子だった。小学校六年間で一度も同じクラスにならなかった。算数(数学)が得意だと風の噂で聞いた。その子の名前が素敵、天然パーマで短い黒髪が可愛い子だと思った。

 その子と関わる中で守らなければいけないルールをいくつも課された。実際はそこまで接しにくい子ではなかったのだが(もちろん明確なルールもなかった)とにかく夢の中で私は、幼馴染から「あの子と付き合う時の何箇条」みたいなものをひたすらレクチャーされた(私の幼馴染はベティちゃん(仮)の近所に住んでいて、6年間で彼女と同じクラスになる機会がかなり多かったと聞いた。多分学校側の配慮だろう。だからベティちゃんとの付き合い方に関しては私の幼馴染の方が了解している)。内容に反発することもなく唯々諾々と言われたことを飲み込んでいった。さて、行きますか、というところで夢が終わった。

 

 学校、嫌いだったな。嫌いだった。今だから言うけど。人と一緒にいることが向いていないのか、なんなのか、とにかく苦しい空間だった。へえ、みんな誰かと一緒にいるのが楽しいんだ。不思議。そう思っていた。

 誰かと一緒にいることが楽しいの?そういうものなのかしら。もちろん刺激的なことではあるけれど。どうして私は楽しくないのかしら。人が何を考えているかわからないし、話が合わない気がするし、私の語りたいことは別にあるし。そう、私はいつもドキドキしていたな、教室で。どんな言葉を返せばいいかわからなかったし笑うのも疲れるし楽しそうにするのも疲れるし、色々。

 

 昔々、小説を読む際に、私がいの一番に確認することがあった。それはその登場人物に友だちがいるかどうか、ということだった。一定期間かなり気にしていた。友だちがいないように見えたら嬉しかったし、友だちがいたら「ちぇっ」と心の中で舌打ちした。嫌なやつである。友だちがいない人物を参考にしたかった。その人たちの所作を習いたかった。そういう話。

 今はもう気にしていない。気にしなくてよくなったことに安堵している。息がしやすくなったと思う。

 

 さて、朝起きていちばんでこの文章を書いた。久しぶりに朝マックでも買って誰も座ってないベンチを見つけて食べようかな。でも、お米が食べたいな。