昨日ユザワヤで布とファスナーを買う。次に作りたかったペンケースのためだ。
手芸を嗜む人、に対する固定概念がある。こつこつと真面目で、器用で、内向的で、体育はそんなに好きじゃない。我ながらとんでもない偏見である。女性の方が人口が多い、とも。まったくひどい話だ。
私は裁縫を趣味にしたいが、それはどうしてかというと、
- おそらく私にとっての水泳や散歩と同じような効用を得られるから
- 実用的なことだから(作りたいものがたくさんある)
という理由である。
ユザワヤに、自ら足を踏み入れる日が来るとは思わなかった。ちまちましたことは嫌いだと思ってた。でも、たくさんの布から、自分がピンとくるものを選ぶことが既に楽しかった。新しいことというのはこんなに刺激的なことなのかと、思った。書店にて買う本を選ぶことと似ていた。すなわち、自分は何に心振られるのか、という自問自答だ。
おそらく、布だけを買うのであれば、専門店に行くともっといいだろう。ただ、今の私にはユザワヤが合ってる。
服は単純なものを好むが、小物は派手なものを好む。ビジネスシーンを意識したペンケースは嫌だ。オレンジの柄が入った布を表に、中は茶のチェック柄を。ファスナーはベージュ。
今日。
作るのは次の土日以降にしようと思ってた。今日はできても裁断だけだ。そう思ったのに、ミシンを出してジャジャジャジャ縫ってる私がいる。買ったファスナーを手にとって見ていたら、作りたくなってしまった。
粗が目立つ。でも、私はぜんぜん良い。私が使うのだから、私が良いと思えば良い。いくらでも失敗してやろうと思えた。布を無駄にしても良いと思った(次はもっと上手くできるから)。どうしてそれ以外のことでは「失敗しないようにしないように」と強がってしまうのだろう(それでも私はかなり自分に甘い部類だと思うが)。ジャカジャカ、ミシンの音を聞きながらそう考えている私がいた。
作りながら、背骨が痛いなあと思った。なんか病気だったら嫌だなと思った。
最近の私は、元々あった薄い強迫観念(これって言葉としておかしい?)が少し強まっているように思う。癌になったら嫌だな、なんて。それは難しい感情だ。癌を患う人を差別するつもりはなくて(この物言いは「差別主義者」の常套句だろう。私は今、病というものを考え直す機会だと思っている)どういう年齢であっても、どういう生活を送っていても、発症するのは発症するから。という考えも今の私の瞬間的なもので、刻々と変化していく。なんだろう、病についてどのようにあるべきなのかについてはずっと考えている。遠ざけるべきではないと思う。忌むべきでもないと思う。つまり、どう生きるか、どう死を引き受けるかの問題で、それは私なら私が考えなければならないし、父は父で考えなければならない。最終的には。
もう少し強迫観念のことを話すと、根本的な恐れももちろんあるけども、家族が泣くだろうからそれが嫌だなと思って。私は今まで、結構やりたいことをやってきた人生なんだけど。たとえば裁縫なんかも、始めてる。でも近しい人は、泣くだろうから。
ペンケースができた。満足のいく出来だ。表と中とファスナーの配色もいいと思う。でも、この辺のセンスって他の人からは断罪されうるものだからびくびくしてしまう。でもいいの。私は私の作ったペンケースを気に入ってます。
さっそく、使ってる筆記具を入れてゆく。急死した伯父の身辺整理をしている母、それを見る私としては、もう物は限りなく減らしたいというモードになっている。このペンケースに入らないものは、いっそのこと捨ててしまおうか。でも嫌だなあ、筆記具はなるべく取っておきたいな。そんなことを考える。そして寒い。
寒い? あと椅子に膝を抱えて座る私の臀部、その骨が痛い。痛い?
体温計。37.8℃。おっと。辛ラーメン食べたからかな(とりあえず不調な時は空腹だったら食べて治るか様子を見るのだ)。十数分後。38.4℃。終わったわ、これは。抗原検査キットは、新型コロナもインフルエンザも陰性。明日もう一度検査した方がいいかもな。
風邪(暫定)の中、ペンケース作ってました。でも、とっても楽しかった。次は簡単な通帳ケース作りたい。