入道雲

 午後6時前、夕暮れ、まだ街に夜は訪れていない。建物がオレンジ色に染まり、影は日中の濃くはっきりと局所的なものから、ぼんやりと広範囲に薄く塗られたような風になっている。南から絶えず風が吹きつける。昨日も外に出たはずなのに、久々に外を歩くような気がして不思議に思う。散歩として久々だが、散歩と、散歩じゃない徒歩移動は、これほどまでに見え方に違いがあるのだろうか。

 歩き方がぎこちない。スピードがいつもより遅い。具体的な数値で表現しなさい。そうだな、だとすれば、いつもの8割ほどの速度だ。加えて少し息切れがする。体調を崩して体力が落ちているからか。ボイスメモを起動し、ぶつぶつと喋りながら歩くことにする。息切れはその所為もあるかもしれない。これはあとで振り返りながら書いているからわかっていることだけれど、ボイスメモは何の意味も為さなかった。車通りが多い道を歩いたのと、風の音が入ってしまって、何を言っているのか聞き取れない。これならば、自分で思い出しながら書いた方が余計なイライラもない。

 チワワのことを書きたかった。マンションの前を通り過ぎたときのことだ。女性と男性が入口で立ち話をしていた。女性はそのマンションの住人のようだった。男性は違うようだった。自転車を隣に停めていた。たまたまその場所を通り過ぎたのだ、という風に見えたし、事実、その数分後、私と一緒に信号待ちをしていたから。信号が青になると、自転車でどこかに行ってしまった。チワワは女性の飼い犬のようだった。女性の足元に四本足でおとなしく立っていた。リードをつけず(それはあまり奨励されないことだと思うけど)、飼い主たちの世間話を知ってか知らずか、ただそこにいて、それがなんかいい感じだったのだ。クリーム色で、毛並みがそろっていて、可憐なチワワ。そういうことをちゃんと書いておこうと思って、じゃあボイスメモだなと思って、ボイスメモは役に立たなかったけれど、まあ、良しとしよう。

 なおも歩き続ける。北の空に入道雲が見える。写真を撮ろうと、入道雲が綺麗に収まる場所まで移動する。歩いて2分後には場所にたどり着く。普段歩く道だ、雲が大きく見えるポイントはわかっている。立ち止まって、一枚撮り、それで満足する。写真を撮るということは、どうも、恥ずかしい行為だ。私は撮りたいと思って撮っているその瞬間、他者に「ああ、あなたってそれを撮るのね」と思われるのが嫌でならない。それが己の尊厳に近ければ近いほど、撮る瞬間を気の知れない他者に悟られたくはない。

 再び歩き始める。陽がどんどん落ちていくのがわかる。やがて、入道雲の頂がまともに夕日を受けとめ、それ以外は夜に片足を突っ込んで沈んでいくことになる。その光景も良い感じだ。ああ、このありふれた美しい光景を毎日味わうことができないなんて、私の生活はひどく貧しいものだわ。そんな気持ちになる。

 難しい。難しさと向き合うことを楽しみたいと思っている。