実はなにもしたくない

 土曜日の朝。久々に散歩に出かける。途中でカフェオレをテイクアウトする。カフェオレってあんなに牛乳を入れるのだなあと、今さら知る。自分が思っている以上に、牛乳の割合が高かった。「Lサイズで」と言うとき、MとLを店員さん聞き取れるかしらと思って(私はたぶんそこまで活舌が良くなく、かつ、こういう時は声が小さい)いつも指でLを書いてしまう。ちゃんとLサイズのカフェオレだった。まだ暑い。むわっと湿度のある暑さだ。曇りだからそこまで疲れない。少しだけ歩く。「少しだけ」というのが肝要で、ここで無理をしないのが続けるコツ、かもしれない。

 実は、ここだけの話、散歩に出かけることすら気が向かない。やりたくない。面倒。私にはそういうものが、実は、多いのだ。多分、ただ寝て食べて少し歩いてお腹を空かせてまた寝て食べて書いて考えて時々本を読んで、みたいなのが、一番MPを消費しない、疲れないスタイル。

 それは楽なことには違いないけれど、面白さを感じるものではないと思う。だから私はどうにか自分を励まして、色々なことをする。生活を送る。洗濯も入浴も面倒。あ、でも皿洗いだけは疲れていてもするなあ。多分、好きなことなのだろうな。

 買い物しただけで偉いし、図書館に本を返しに行くのも偉い。掃除機をかけるのも偉いし、もちろん働くことも偉い。偉い、偉い、私って偉い。でも、その鼓舞が効かなくなったらどうしよう、って時々思ったりする。偉くても、あなたすごく頑張っているって自分に言っても、もう前には進みたくないのだ、何もしたくないのだ、と心が硬くなったとき、私はどうしていいかわからない。そのときはつまり、休め、ってことだと思うけど。

 なので、あなた偉い、あなたすごい、と自分を励ますことの限界と、じゃあ代替手段はあるのかということを、私は考える。多分、そこまで辛く感じないように(私にとっての皿洗いのように)自分にとって自然なことになれば事はうまく進むのだけど、私にとって「自然」ではないこと、いちいち考えながら乗り越えないといけないことが多すぎる。あるいは、私が私をそうさせているのかもしれない。つまり、「考える」という俎上に置く為に、いちいち取り上げている。意識している。

 そんなことを考えていた。