幕間3

2024/7/XX 7:27のメモ

 先日妹たちが面会しに行った。私はOと留守番をした。

 

2024/7/XX 8:34のメモ

 元々医療系のニュース特集を見るのが好きで(楽しんで見ているわけではなく、知らないことを知ることができるので)稀な病に向き合っている人々や終末医療や緩和ケアなどを取り上げたものなども見てきたが、この度の状況を踏まえて改めてそういう映像を見ると、少し、感想が変わるのが面白い。

 

2024/7/XX 12:03のメモ

 そういえば、仕事をしている最中に、電車に乗っていたときのこと、目の前の、父ぐらいの(あるいはそれ以上の)年齢の男性を見て「どうしてこの人は病まずに済んだのだろう」と考える自分がいたことを、思い出した。

 予め断っておくと、目に見えるものがすべてではなく、電車に乗っている人の中でも、現在進行系で治療をしていたり、あるいはしたことがあった人がいるかもしれない(というか、いる)ということを重々承知している。この疑問の根幹は、他の人はすり抜けたように(すり抜けてそうに)見える網に、父は引っかかり、それは何故か、その違いをどう消化すればいいか、ということであった。

 結論から言えば、納得できる理由はないのだった。私の身体を有することは変えられないのと同じように。

 

2024/7/XX 21:37のメモ

 抗がん剤を投与したとのこと。効くかどうかは未知数。が、これまでこの治療をしてきた人々のデータは蓄積しているわけで、様々なケースごとに、早い話、残された時間は容易く算出される。時間について、聞かれれば答えることもできるがどうするか? と医者に言われたが、本人は言葉に詰まってしまったとのこと。聞けなかった、と。諦めるわけでもなく期待するわけでもなく、まあ、残された時間は限られているのだろうと、思っている。

 母と話をしていた。結局、いつ死ぬかなんてわからないんだよ、という話。それはそう。年齢的に、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件インパクトは少ないのだが、アメリカの世界同時多発テロ福知山線脱線事故の二つは本当に強烈に印象に残っていて、人はあるとき、突然命を落としうるということを、小学生ながら思い知った出来事だった。

 私もいつか、このまま自ら死を選ばなければ、何かに(誰かに)期限を突きつけられる日が来るのだろうけれど、死ぬ時が今この瞬間訪れてもおかしくはない。そのことはずっと考えていた。

 

2024/7/XX 22:20のメモ

 「大丈夫?」と連絡が来る。意図がわかりかねたので「何が。雨?」と答えたら(夕方のゲリラ豪雨がここ数日続いていたのだ)メンタルを心配してたらしい。別に平気じゃないかな。わからないけど。私はすぐ凹むけど、すぐ起き上がりがち。

 私は昔から結構色々なことを想像しがちで、たとえば身近な人が死んだら、そのあとはどうなるかなとか、自分が重い病に罹ったらどうするかなとか、足を切断して車椅子になったらどういう生活になるのかなとか、電車や車で川を渡っているとき橋が崩落したら生きられるかなとか、そういうことを度々考えた(でも大地震はあんまり考えたことがなかったな)。

 不安や恐れもあるけれど、それ以上に、私の中で仮説を立てることが重要みたいだった。仮にそうなったときに答え合わせをしたい、みたいな。

 

2024/7/XX 10:27のメモ

 退院とのこと。これからは定期的に通院し、抗がん剤を投与して経過を観察することになるのかなと思う。

 面倒だし暑いから迷ったけれど、今回の件で心労も多いだろうと、母の気に入っている高いケーキを買った。その店が入っている商業ビルはあり得ないぐらい人がいて、とてもうんざりした。どうしてわざわざ混雑している場所に行かなければならないのだろう。もうちょっと人の分布を均せよ、と心の中で毒づいてしまう。

 ケーキを食べた。おいしかった。

 退院するからと父の分まで買って、帰宅するや否やあの人もそれを食べた(入院生活は、そういうものだ)。感慨深そうに食べている姿を見て、結構堪えた。真っ当に感謝されたり喜ばれたりするのが、私は結構苦手なのだ。

 

2024/7/XX 10:41のメモ

 にしても、身体の調子というものは、可視化されないものだと思う。手足や腰の調子が悪いことは、歩き方や速さで見て取れるけれども、まさかあの人の歩く姿を見て癌細胞が様々な臓器に散らばっているとは思えない。絶対無理だ。ここ数年で一気に意識するようになったヘルプマークの重みを感じた。身の振る舞いを一層考えないといけない。

 

2024/7/XX 22:24のメモ

 調子が良くない。怖い。何が怖いのか。誰かが悲しむのが怖かった。泣いてほしくもなかった。とにかく夜にこういうことを考えるのは避けたほうがいい。陽の光を浴びながらそれでも同じことを考えるか。