前から行ってみたかった、ビリヤニを出す店に行ってみる。ビリヤニのランチ、野菜かチキンか選んで、ということなのでチキンを選ぶ。ドリンク付き。ドリンクは? と聞かれ、私は軽いパニックに陥る。ドリンク? 何があるんだ? とりあえず頭に浮かんだ「アイスティー」と言ったら、アイスティーはないねん、烏龍茶ならあるよ、的なことを言われたので「烏龍茶」と言った。その30秒後に、丸いお盆をひらりと手にのせて何杯ものラッシーを運んでいるウェイターさんの姿を見て、私は己の失敗を悟った。この店ではラッシーを頼むべきだった(メニューをめくればドリンクの欄があって、それを落ち着いて読めばラッシーの存在に気づいたはずだ)。
こういうことはよくある。もし私という人間が落ち着いている風に見えたのだとしたら、それは往々にして前から準備してきたことに違いない。「○○ってどう考えますか?」と聞かれたときに、大概、私が流暢に答えられているのは、前からずっと○○について無意識に考えていてそこに言葉を与えただけだからだ。飲食店でもそうあれたらいいのだけど、初見のお店はどうしようもなく、私は自分のテンポを容易に見失う。もっと冷静に「ちょっと待ってください」と振る舞えたならいいのに。この年齢になってだいぶ「待って」と言えるようになったけれども、油断しているとこうなってしまう。
ビリヤニはおいしかった。が、ボリューミーで、かなり辛かった。そして私にはラッシーがなかった。ライタ(ヨーグルト風味の白いソース)をかけても焼け石に水な感じがする。ヒーヒーと心の中で悲鳴を上げながら黙々と食べた。烏龍茶ではこの辛さは和らいでくれない。細長い米の山の中から、ほろほろと柔らかい鶏肉が出てきた。インド料理屋あるあるの、サラダにかかった謎のドレッシングもおいしかった。短冊状にカットされた生のきゅうりとにんじんに、謎のドレッシングはよく合っていた。
食べ進めていくにつれ、私は終わらない辛さに苛々してきた。
私の辛さ耐性は、市販のカレールーの辛口は食べられる、ココイチは1辛がいい、一味や七味やタバスコやラー油は適度に使う、ぐらいであり、辛さに弱いというわけではないと思うのだけど、それでも辛いと感じた。なんでこんなに辛いねんと、本気で苛々した。辛さに苛々するというのは自分にとってあまりないことだから面白かった。ああ、人間って辛みに苛々することってあるのだなあ。量が多いということも苛々を加速させていった。おいしいビリヤニを食べているはずなのに、若干調子が悪い感じになってきた。そして、トドメはパクチーである。やつの青臭さが目立ってきた。
パクチーは唯一食べられないものとして挙げている。が、実は少量なら食べられるので、普段あまり恐れてはいない。面白いことに、パクチーというのは元気であればあるほど食べられる(パクチーを許容できる)し、元気でなければ食べられなくなるらしかった。元気じゃなくなっていった私は、ビリヤニの後半は、満腹感と辛さとパクチーと、多勢に無勢な状況だった。それでもビリヤニという食べ物はおいしいかった。慣れない食べ物だから食べるだけで楽しかった。せめて量を少なめにしてもらえればよかったな。
残すのは矜持に反するので、休み休み食べた。その頃には会社のお昼休みの時間が終わりそうだからか、店内の客はだいぶ少なくなっていた。なんとか食べ終わり、店を後にした。きりの悪い金額ぴったりに払うことができた。
またひとつ、やりたかったことをクリアできた。また時間を空けて、行きたいところ、食べたいもの、やりたいことをやろう。時間には限りがある。