生に触れている

 色々な検査の結果、父の病状は想像以上に重く、端的に言えばステージ4の癌だったらしい。ただ、余命を宣告された状態でもない。治療方針を決めるための検査をし、治療を進めてみてどうなるかという話だ。

 最初に話があったときから最悪の想定はしていたが、それに近い結果となった。いずれにせよ、私の生き方も考え方も一つ変わる転機になるだろうと思っていたし、私も、父も、それ以外の家族の生活も、しばらくは続く。

 私は今、とても「生」に触れていると感じる。おそらく病院の一室で悶々と己と対話しているだろう父も、同じだろう。私はどきどきしている。このように表現するのが妥当かはわからないけれど、少し、興奮している。平常時とは異なる心理状況で書く文章なのだからまともな内容になるわけがないが、今この瞬間を文章で切り取ることもまた有意義だと思い、私はこの文章を書いている。書かざるをえない。書かずに消化することはできない。

 病とは何か。生きるということは何か。暮らすということは何か。働くということ、お金があるということ、教育を受けるということ。

 漠然と考えてきたそれらが、自分の中で熱く燃えているような、そういう感覚があって、人生の深奥みたいなものの、端っこに触れているかもしれない、触れていたらいいな、なんて思う。今さらそんなことを考えてられるだなんて、すごく恵まれた人生を送ってきたと、それはよく理解している。

 

 堪えないわけがなかった。疲れた。悲しいじゃなくて(本当は悲しむべきかもしれないけれど)ただ今日は疲れたので、あとでゆっくり散歩して、早めに眠りたいと思う、