信仰

だいぶ元気だと思うのだけど(年々元気になっている)元気であるが故に、一日の終わりに「いいから殺してくれ」みたいに思うことが増えた。元気であるが故に。「もう終わりにしたい」という感情は、充足感の裏返しのような気がする。そして明日に対する恐れ。頑張りたくないという悲鳴なのかもしれない。もちろん死にたくないという気持ちもたっぷりとあり、この矛盾した感情が共存してしまえることが、まさに人間という感じがしてとても良い。死ぬのはどう考えても怖い。なんなんだあれは。

「いいから殺してくれ」は大体歩いているときに発症するのも興味深い。これが布団の上に横になり起き上がれない状態に出てくるものなら、それは不健康ですね、あてにしちゃいけませんよ、と私ですら思うけど、歩いているときというのはなんだか真っ当な気がしてならない。

「いいから殺してくれ」というのは、言葉が見当たらないということでもある。もっと他に言い換えられる表現はあるだろうけれど、今の私には見つけられず、このような物騒な表現になっている。

ひとまずは、=充実した、よく頑張ってしまった一日を過ごしたんだね、ということにしておこう。それは本望ではあるはずだ。しかし、おそらく細心の注意を払うなかで、神経が弱ってしまうのだろう。ならば、頑張らないことで満足しないといけないのだけど、それができない。困ったものだ。本当に。

なぜそうなっているのか、根っこについて思い当たることはある。もはやそれは信仰と言っていい。私は信仰を捨てる必要があるのだろうか?だとすれば、どのように構築し直せばいいのだろう。