ラーメンと小ライス

 本当にときどきのこと。ときどきって主観的な指標だけども。ラーメン屋さんに行くこと。

 ラーメン屋を訪れるたびにラーメンに小ライスをつけたいと思うのだけど、ラーメンに小ライスという組み合わせの意味が今までよく理解できていなかった。
麺をあらかた啜ったあとで、スープをレンゲですくってライスにまわしかけたものを食べる愉悦を私は感じていたにも関わらず、その愉悦はラーメンと小ライスを食べる「目的」にはならなかった。麺とご飯。炭水化物と炭水化物。喜びと、その分蓄積されるエネルギー。

 「お、倖田來未が流れている」と、私は気がついた。店内BGMだ。めちゃくちゃ好きやっちゅうねん、というやつだ。それってどういうことかしらと思いながら(文字通りだとは思いつつ)このお店のお冷を気に入る。マクドナルドのドリンクのような細かい氷がたっぷり入ってて、無味の氷をがりがりと噛み砕く。

 ラーメンの小を頼んだにしては量が多く、小ライスは完全に余剰だった。けれど、豚骨醤油の、背脂が浮かんだスープをかけて、ご飯がびたびたにならないぎりぎりの加減でレンゲですくって口に含めば、米が存外かために炊かれていたものだから、米粒一つひとつにスープが絡んでおいしかった。存在感のあるお米が好きだ。そのとき、私はラーメンライスの目的を理解する。私にとってのラーメンライスは、ラーメンを食べ、ご飯を食べるということだ。根っからの米派でおにぎりも好きな私は、無意識に一日のどこかのタイミングで米を食べられるようバランスをとっているのだ。その日は朝ごはんに米は食べておらず、どうもお米を欲していたようだ。欲していたことを、スープをかけたご飯を食べて気づくのだった。

 パスタならそうはいかない。うどんやそばはセットとして丼ものをつけられることはあるが、あれはあくまで丼であって、ご飯じゃない。ご飯とセットになる相手も楽しむなら、ラーメンとライスというのは、相性の良い組み合わせなのかもしれない。

 残しておいた分厚いチャーシューをご飯の上にのせてもう一口食べる。おいしい。

きいろの風船

 半年ほど前から車の運転の練習をしている私にとって、車を運転する者の視点というのは新たに得た視点だろうと思う。

 歩行者信号が青になるのを待っている私の、道路を挟んだ向かい側に、きいろの風船がふよふよと転がっている。午後が深まるにつれ、風が強まってきた。冷たい風だ。日中の強い光は、太陽が西へ沈む過程で弱まってしまったらしい、風の冷たさの方が目立つ。

 風に乗って風船が揺れる。車道を走る車はいない。私は気が気ではない。自分が運転をする者ならば、風船がフロントガラスの正面に飛び込んでくるのは避けたいと思う。長らくペーパードライバーだった私なら、の感想だけども。

 運転手ではなく、歩行者の私からしてみても、例えば風船が車のタイヤに潰される様は見たくなかった。風船が割れる様を見たくないというよりは、風船が割れる音が嫌であった。なので、早く信号が青にならないかなと思っていた。

 信号は青になった。私は足早に信号を渡ると、車道に出そうになっている風船を捕まえようとする。その瞬間までじっとしていたいのに、私が手を伸ばすとひょいと動き始める。腹が立つ。なぜきいろの風船をわざわざ捕まえなければならないのかと思ってしまう。他に歩行者はいない。風船を捕まえた。私は何食わぬ顔をして、ぼよんぼよんと風船を叩きながら歩き始める。なぜ風船を持って歩かなければならないのだ。

 きいろの風船は、埃にまみれて細かく汚れていた。私はこのあとドラッグストアに立ち寄る予定だった。私の大きな鞄に風船を入れることもできるだろうけれど、そうしてやる義理もないかと思い、持ち歩いていたボールペンの取り出すと、ペン先を出して風船を割ってやった。誰かの息の根を止めてやった、気がしないでもない。

ナンプレは庭いじり

ナンプレ(日本だと数独とも言うか)を久々に始めた。これはナンプレを実際に遊ぶ人にしかわからないだろうし、遊ぶ人とも共有できるかわからないのだけど、ナンプレに私は庭いじり的な、あるいは家の掃除的な、ものを感じる。せっせとあちこちを点検すること。何かが変われば、それに関連して別のところがおかしくなってないかの、細やかな見回りが必要に思う。それははたして私がナンプレの本質というものを正確に捉えられているかはわからないけど。そして、昔よりずっと、そういう細かなメンテナンスというものは好きになったし、その重要性を理解しているつもりだ。

緑はいい色

PILOTのDr.GRIP 4+1を使っている。黒が通常、赤は日付と取り消し線、青は知らない用語、緑は自由な私のコメント、だからノートやメモに緑色がたくさんあると豊かな気持ちになる。どうして? ただ受け身で書くのではなく、私と書いたものとの間に会話が生まれるから。緑であるということは、それだけ私が主体的にそのことについて考え咀嚼しようとする証左なので。

出奔経験者より

出奔。逃げ出してあとをくらますこと。

私はこれまで「出奔だったな…」と自覚する逃走を3回ほどしたことがある。多いな。あくまで自分が思う「出奔」なので、他人からすると「いやいやそうでもないよ」と言われるものを含んでいることに留意したい。とにかく3回だ。

弁明しておくと、いずれも多大な迷惑をかけた末になんとかなった(なんとかしてもらった)ものであり、最後は私なりに終わらせたわけだが(逃げっぱなしではないから、厳密に言えば出奔ではない)それに伴う消耗と負い目は今後も私の中に残り続けるだろう。

ポジティブに捉えるなら、この三度の経験を経て、私は多少なりとも良い方向に変わったと断言できるし、自分の御し方も学んだ。自分が信用ならない人間なのだということも痛感した。

これらの経験から、ある人間にとっては「逃げる」ということが苦しいことであることを知った(逃げることに抵抗がない人もいるだろうことも想像はできる)。適切なタイミングで逃げることができず、自縄自縛に陥り、逃げられなくなった末爆散することの悲しさよ。私が何かにつけて「終わらせることは難しい」と思うのも、この辺りの実感から出てくるものだ。

こんなことを今になって書いているのも、仕事関係で出奔に近い退場があり、その引き継ぎでてんやわんやしているからだ。本人の胸中はいかに。私には推測することしかできないし、それが当たっている可能性は高くない。私は「祭りじゃ祭りじゃ」と火消し作業に追われている。非日常としての祭り。これを楽しいと言ったら、不謹慎だろうか。

誰かが謝り、誰かはさらに仕事を負担することになるだろう。その人が出奔に近い退場をすることになった責任は、その人にだけでなく周辺の人すべてにあると思っていて(そこに私も含まれる)一方で、当人に対しては「いいのかお前…それは自分への呪いになるぞ」と念を飛ばしていたりする私だ。私は、何事にもそれ相応の報いというものがあると信じている人間だ。今からでもいい、少しでもましな状態に軟着陸する気はないか?

 

昔の話をしよう。

私の場合は、自意識がFFシリーズのボムのようにぶくぶくと膨らんでいき、破裂してショートしてしまった感じだった。あらゆるものの破壊だった。戻れなかったし、戻りたくなかった。

あの状態の私に声をかけるならなんと声を掛ければ良いか。まずは武装解除だろう。責められることはわかっていた。その責めを負うべきだとも理解していた。が、誰も(私自身も)私を救えなかったことに絶望していたから、甘いとは思うけど「あなたを責める気はないし、一旦ゆっくりおいしいものでも(ケーキでも)食べて、あなたとお話がしたい」と言いたい。実際、私はその件に限らず、私というものについて誰かに話を聞いてほしかったのだ。

だいぶ「出奔」していない。もう二度とやりたくない。

また同じことをしてしまうかもしれないという恐怖は今もある。「発症」しないためのケアを徹底している。薬物やアルコール依存の治療が他人事ではないのは、その回復のステップに何か近しいものを感じるからだ。回復し続けること。終わりはないこと。

 

季節は春である。行く人去る人さまざまが行き交うこの季節が、私は端的に言えば嫌いになって(人との出会いや別れがなければ好きだと思う)「春ですなあ」としみじみしている。とりあえず今日はよくやったので、カフェオレでも飲みたい。

ダメージ

 前日にとても歩いた。iPhone歩数計によるとトータル25キロとのこと。よく歩いた。慣れればもっと長い距離を歩けるだろうと思う。翌朝。長い散歩のダメージが如実に表出している。寝る前にストレッチはしていたけれど、それではカバーできなかったようだ。フルマラソンの翌日もこんな風だった。朝の散歩をしながら点検していく。両足の足首の前部分の筋。背中から腰。何故か首(これは散歩のせいというよりは、寝違えによるものか)。体じゅうに広がったうっすらと柔らかい痛み。明日はこれよりさらに回復していると嬉しい。今はまだ「回復するだろう」という予測が立てられるが、いずれはその予測も修正せざるを得ない日がやってくると思う。とりあえず今は、痛みが引くことを願っている。

慣れてない

夜道を歩いていたら白い何かが歩道の真ん中に見えて、死体を警戒する私は身構え、それでもペースを落とさず近づくと、白い何かは猫のようで、しかしまだ冬が居座る寒い夜に、道路の真ん中で、足音が近づいているのに、ちっとも動かない猫は、多分息絶えていた。私はそのまま通り過ぎる。他にどうしろってんだ。立ち止まれば良かったかな、でも怖かったんだよな、違うな、嫌だった。死というものに慣れてないな、死が身近じゃない社会に生きているな自分は、ということを、歩きながら考えていた。