ラーメンと小ライス

 本当にときどきのこと。ときどきって主観的な指標だけども。ラーメン屋さんに行くこと。

 ラーメン屋を訪れるたびにラーメンに小ライスをつけたいと思うのだけど、ラーメンに小ライスという組み合わせの意味が今までよく理解できていなかった。
麺をあらかた啜ったあとで、スープをレンゲですくってライスにまわしかけたものを食べる愉悦を私は感じていたにも関わらず、その愉悦はラーメンと小ライスを食べる「目的」にはならなかった。麺とご飯。炭水化物と炭水化物。喜びと、その分蓄積されるエネルギー。

 「お、倖田來未が流れている」と、私は気がついた。店内BGMだ。めちゃくちゃ好きやっちゅうねん、というやつだ。それってどういうことかしらと思いながら(文字通りだとは思いつつ)このお店のお冷を気に入る。マクドナルドのドリンクのような細かい氷がたっぷり入ってて、無味の氷をがりがりと噛み砕く。

 ラーメンの小を頼んだにしては量が多く、小ライスは完全に余剰だった。けれど、豚骨醤油の、背脂が浮かんだスープをかけて、ご飯がびたびたにならないぎりぎりの加減でレンゲですくって口に含めば、米が存外かために炊かれていたものだから、米粒一つひとつにスープが絡んでおいしかった。存在感のあるお米が好きだ。そのとき、私はラーメンライスの目的を理解する。私にとってのラーメンライスは、ラーメンを食べ、ご飯を食べるということだ。根っからの米派でおにぎりも好きな私は、無意識に一日のどこかのタイミングで米を食べられるようバランスをとっているのだ。その日は朝ごはんに米は食べておらず、どうもお米を欲していたようだ。欲していたことを、スープをかけたご飯を食べて気づくのだった。

 パスタならそうはいかない。うどんやそばはセットとして丼ものをつけられることはあるが、あれはあくまで丼であって、ご飯じゃない。ご飯とセットになる相手も楽しむなら、ラーメンとライスというのは、相性の良い組み合わせなのかもしれない。

 残しておいた分厚いチャーシューをご飯の上にのせてもう一口食べる。おいしい。