二択

ページの位置が刻み込まれている。

ミドリのMDノートジャーナルを一日、一ページで使っていると、見開きで左のページに書くか、右のページに書くかの二択しか発生しない。

このノートは、ページの下の角を切り取れるようになっていて、書き終わるたびに切り取っていく。

あ、また今日も左のページに書いている、と思う。左のページに書くのは一日振りだ。一昨日の私だ。このとき、一昨日の私と今日の私が、月と地球のように一瞬だけ接近したような、そういう感慨を覚える。ページがだぶることによって、時間が重なる感じだ。ああ、もう未来なのか、と思う。一昨日の感覚はまだ残っている。遠い過去ではない。そして、一昨日の私からすれば、今日の私は未来だ。自分が加速度的に歳をとってる気がする。老け込んでいる。

毎日、一ページずつ日記めいたものを書くということは、そういうことだ。ノートという形態だからこそ、時間と感覚の絶え間ない重なりの連続があり、デジタルに日記を書く場合は、もっと個別でばらばらになるだろう。私は今、本という形態の重層性みたいなものを考えたいのかもしれない。

このノートもあと60ページほどだ。よく書いた。次も同じノートを使おうと思っている。