性格のようなものが、少しずつ少しずつ変わってきているように、思う。

 性格のようなもの、と表現するのは、大福を性格のようなものとしたとき、餡の部分がより根幹的なところ、そしてそれを取り巻く餅の部分が少しずつ変わってきていると思うからで、餡は餡のまま、それを取り繕うのが上手くなったとも言える。

 

 例えば。私は夏休みの宿題を31日ぎりぎりにやるタイプの人間だったのだが、今はそこまで酷いことにはならないと思う。例えば。ポテトチップスの袋を一度開けたものなら、尽きるまで一気に食べるような人間だったけれど、最近は半分とか三分の一ずつとか、分けて食べられる理性を獲得した。例えば。万年筆を日替わりで何本も使い続けられるようになった。昔の私なら、そもそも毎日続けられなかっただろうし、日替わりも無理だったろう。

 これは性格の変容なのだろうか。あくまで大福の餅の部分の変化。経験から学び、後天的に獲得した技術。でも私はどうやら餅も含めて大福丸ごと性格と呼びたいらしい。私の性格は変わらないものもあれば、変わったこともある。

 

 栞を使わない本読みだった。

本を読む際に栞は必須のものではない。読んだ位置を大体覚えているから。それよりも本に挟んだまま栞を失くすことの方が大問題、土産にと渡された栞をいくつ失くしてきただろう。大体は図書館の遺物BOXの中にあるに違いない。

日々樹さんを本に挟む - 透明で不可能性

 そうだったはずなのだけど、ふと、思ったのだ。万年筆を日替わりで使い続けられるのなら、栞だって、そのとき読む本に応じて選んで使って、本を読み終わったら戻して、別の本を読み始めたらまた違う栞を選んで、ということができるのではないか、と。衣服に関しては極力選びたくないけれど、栞なら別にいくらでも選べそうな気がした。選ぶことを楽しむことができると思う。

 本の読み方も少しずつ少しずつ変化しているところだ。読み切る為の読み方を試行錯誤中。きちんと読み終えることができれば(あるいはきちんと断念することができれば)栞だってちゃんと回収できるはず。

 一度、持っていた栞を全部捨てたのだけど、気が向いたら、無理をしない程度に、筆記具を集めるみたいに、栞を集めてもいいかもしれない。そのうち、栞を使うために本を読む、本を読むために栞を使う、みたいな相乗効果が生まれるぐらいの存在になるかもしれない。