日々樹さんを本に挟む

 日々樹渉はあんさんぶるスターズシリーズに出てくるアイドル。江國香織は作家。どう考えても重ならないこの2つ(というか2人)のことを私は今から書こうとしている。

 信頼できる作家(この場合の「信頼」を説明するのはひどく難しいのだが)の著作に限り、BOOK OFFて買うことがある。例えば江國香織なんかはそうだ。あとはなるべく買わない。本を買うというのは今でも少しだけ海に飛び込む感覚に似ている(とはいえ、海に入ったのなんてとんだご無沙汰なのだけど)。

 その日、私はそのひどく無性に物語を読みたくなり、しかし電車に乗っていた。長く長く電車に乗っていた。それが好きなことだから。

 持ってきた本はエッセイが2冊。これもまた都合が悪い。というのも食い合わせが悪いのだ。持ち歩く本はジャンルをなるべく分けているのにこの日に限ってはエッセイが2冊だった。家を出る前にバタバタしてしまった。本をじっくり選ぶ時間がなかった。

 電車に揺られながら、私は江國香織の小説を読みたいと思った。時間が過ぎれば過ぎるほどその思いは強くなり、いよいよ近場でBOOK OFFが無いか検索し始め、見つかると途中で下車し、BOOK OFFに入り、迷わず「文庫本 えの作家」の目印を探した。運よく、まだ読んだことのない本があったので(『ぬるい眠り』という作品だ)それだけを本棚から引っこ抜き、あとは何も見ずレジに駆け込んだ。これで私は江國香織を読むことができるのだ。喉の渇きは収まった。

 

 話は変わる。

 昔から「グッズ」というものを買わない性分だったという話だ。その対象をどれだけ好いていても、モノとして気に入らなければ絶対買わない。おかげで私の机周りは本や紙や文房具、あとは幾許かのぬいぐるみ、額縁に飾ったパズル、それぐらいで可愛げに欠ける、ような気がする。

 そんな私が、先日いわゆるグッズを買ったのだ。「トレカ」と呼ばれるカードをボックス買いした。それは驚天動地な出来事であった。ただ、好きな度合いが他のものに比べて著しく高かったからとか、そんなことではなくて、「開封」とやらをやってみたかったのと(私はくじが好きだ)カードのデザインを気に入ったから買った。

 3枚入りのパックを10個あける。1パック1パック毎に楽しみながら開封し、手元には30枚のアイドルたちのカードが残った。30枚、積まれたカード。たちまちそれを持て余し始める。飾るわけでもないしファイリングするのも面倒。いっそのこと捨ててしまおうかと思う私はどう考えても野蛮で(だって買って開けたら気が済んだので用済みですなんて、そんな無体なことがありますか)とりあえずごみ箱に投げるのは思いとどまり、どうしたものかと悩んでいたら、そうか、本に挟めばいい、と思いついたのだった。

 本を読む際に栞は必須のものではない。読んだ位置を大体覚えているから。それよりも本に挟んだまま栞を失くすことの方が大問題、土産にと渡された栞をいくつ失くしてきただろう。大体は図書館の遺物BOXの中にあるに違いない。

 失くしてもいいな。

 30枚のカードはちょうどよかった。なるべくなら失くしたくないが、失くしても大打撃にはならない。それぐらいの方が失くさないような気もする、というのは言い訳かな。

 カードの山からランダムで引くと日々樹渉のカードで、私は読みかけの江國香織の本にそれを挟む。以来、私はこの本を読むたびに何度も日々樹渉と目が合う。

 『ぬるい眠り』は読み終えた。最後のページに日々樹渉は挟みこまれている。お疲れ様と彼を労い、私はカードの山に戻す。そうしてまたシャカシャカとカードの山をシャッフルし、引き当てたカードを次に読む本の最初のページに挟むことにしよう。

 さて『ぬるい眠り』もこれまた味わい深い作品だったが、最後のページがとても良い。

「いい一日だったわね」

「いい一年だったわね」

「来年もまた、愉しく暮らしましょうね」

 他人の目にはおそらくおなじくらい年をとって見える、モンスターじみた三人の女たちは、それぞれ別のタクシーに乗り、別の場所に帰っていく。山のような食料を抱えて。世の中というこの奇妙な場所で、新しい年をまた一年生きのびるために。

江國香織『ぬるい眠り』より「奇妙な場所」)

 

 日々樹渉が本を閉じようとする私のことを見ている。咎められているように感じなくも、ない。