メモランダム vol.19

本が読めないので

 本を読んでいないわけではないが前のように読めなくなったので、読む為にTODOを持ち出している。細かなTODOの間に、この本を読む、というタスクを挟み込むのだ。さながら本のページに差し込む栞のように。小説は難しいが、エッセイ集だと一つ二つの短いエッセイで一回分、といった感じだ。いったいどうしてしまったというのか。集中力の低下? いや、集中力自体は変わらない(むしろ前より高いまである)が持続しなくなっている。色々とやりたいこと、やらねばならないことがある。

 

孤独

 ポジティブでもネガティブでもなく、ニュートラルに、自分は孤独だな、と思う。私はこういうことを感じている、考えている、思っている、ということを、具体的な他者と共有できると思えないこと(それは当たり前といえば当たり前なのだが)。いくら書いても(読まれても)いくら話しても(聞いてもらっても)孤独であることに変わりはない。そして、孤独への耐性も強い。私は一人を楽しんでいる。適応している。

 一方で、与えられてきた、ということについても考えねばならない。んんん。私は吝嗇家。この見立ては正確かどうかはわからないけど、欲することを一つ一つ諦めてきたからだと思う。私の理屈を他人に適用するなど馬鹿げていると思いながら、なかなか難しいと思っている。何を与えればいいかわからない。いや、与えたいという感情の程度が弱いのかもしれない。私は与えられてきたというのに。

 

それはどういうことなの?

 さて、いつからこうなったのかわからない(私の半生の中では比較真ん中ぐらいに出てきた観点だと思う)、「それってどういうことなの?」を可能な限り延々と考えていたい。が、物事がそれを許さない。いや、許さないでもらった方がいい。適度な制限は必要だ。にしても、今日の私はいつもよりいっそう考えたくなっている(それってどういうことなの?)。

 

揺らぎ

 散歩のモチベーションを上げる為に、帰りにコンビニに寄ってホットコーヒーを買う。ときどき。

 コンビニコーヒーというのは、なかなか消費社会を象徴しているというか、できることならマイコップを持っていって「これに入れてください」とお願いしたい。できない。せめてもと、蓋をつけずにカップを持って店の外に出ると、途端に後悔する。蓋をしなければコンビニのコーヒーというのは容易く溢れるものなのだ。コンビニとの距離は、5分から25分の間(仮)だとして(ここで重要なのは、数分、十数分、数十分の間、蓋なしでカップを持って歩かなければならないということ)私は家までなんとか辿り着かなければならない。馬鹿なことをしたと思う。それでももう、コンビニに戻るという選択肢はない。私は慎重に、自分の体を平行移動させることに努める。温かいコーヒーが手に溢れて火傷するという自体は防げたと思う。液体というのは、なんて、ままならないものだろうと思った。

 そんな苦労をしてなんとか帰り、机の上にコーヒーのカップを置くとだいぶ冷めてしまったと思うけどふんわりとコーヒーの良い匂いが香っていい気分になる。本格的にコーヒーを淹れ始めるのも、そこまで遠いことではないかもしれない。