一度離して

 向井太一(現・TAIL)の楽曲に、「リセット」という曲がある。

 三浦しをんの小説『風が強く吹いている』がアニメ化されたときのエンディングテーマだったらしいが、向井太一の曲を聴き始める、良い曲だなあ、え、『風が強く吹いている』のEDだったんだ、というのが私の理解の流れであった。

 この曲の歌詞を一部引用してみる。

走り出せればほら 掴めるから

一度離した 明日へのチケット

この場所から 始まるから

取り戻すため もう一度リセット

 私は今まで歌詞を勘違いしていた。

 「走り出せればほら掴めるから」うむうむ

 「一度離して明日へのチケット」なるほど自分で一回離さないといけないのか

という具合に。この細かな違いで意味が異なってしまうのだから、言葉というのはなんて奥深いものなのだろうと思う。「離した」と「離して」だと、意味が変わってきてしまう。

 

 楽曲で歌われていることがすべてなので、ここからは私の妄想による文章である。

 「一度離して 明日へのチケット」(私の勘違い)というのは、「自分で持ってしまっている明日へのチケットを、一旦自ら手放せ」ということである。そういう意味で、マジの、リセットである。

 一方で「一度離した 明日へのチケット」という言葉には、もう少し様々な意味が内包され、許容している。「離した」のは、自ら自発的に離したのか(内部的)、外部的な要因では失ってしまったのか、ケースバイケースだからだ。

 「一度離して 明日へのチケット」の方が、よりストイックだと思う。修羅の道である。でも、ある意味、リセットというのはそういうものじゃないかなと思って、私は勘違いから納得してここまで生きてきた。リセットって、一回マジでゼロになることなんだ。

 ただ、このやり方(持っているチケットを一回手放す)は、全面的に肯定できないところがある。破壊からの創造。大いに結構。そりゃああるでしょう。でも、間違えると本当に無くなってしまうわけだし、無くなったものを蘇らすことはできないのだ(ということを、過去の日記を全部捨てたときに学んだ)。程度が大事だ。一度小さく手放すぐらいなら、多分大丈夫。

 色々煮詰まったときは、一度小さく離してみるのもありだ。離し方? わからないな。物事を疑ってみたり、自分の言葉で考え直してみたり、別の角度から見てみたり、そういうことも離し方のひとつだと、私は思っている(あとは潔くその日は寝るとか、そういうのも小さな離し方)離すのは自分で決断する勇気を持つようなところを感じるから、私はストイックだと思っているのだろう。

 なんにせよ、息を吐いたら息を吸い込むことができるように、離したチケットはもう一度掴めるのだ(それが徹底的な荒野であったとしても)。だから、リセットすることもできるのだ、と忘れないことが、なにより大事。

 

参考URL

https://www.uta-net.com/song/258762/