冷たい緑茶

湿気が閉じ込められた夜だ。蒸し暑く、しかし時折吹く風は心地よい。

歩くのも暑ければ、走るのも暑いなら、より負荷がかかりカロリーを消費するジョグの方がいいのではないかと思い、散歩のうち2回に1回はジョグに変更中。気分転換にもなる。

いつもはボトルを持って走ってるけども、時々は自販機に立ち寄り冷たい飲み物をジョギングの褒美にする。運動した後の、キンキンに冷えたお〜いお茶がめちゃおいしいじゃないかと思う。どうして人はビールを飲むのだろう。茶を飲め茶を。

そこらの事務所の、屋外の休憩スペースみたいなところにある赤いベンチに腰掛け、白色の街灯の光と自販機の寒々しい光に囲まれながらこの文章を書く。

鋼の錬金術師』に出てくる怠惰のホムンクルス「スロウス」の最期の台詞が好きだ。彼は「生きてるのもめんどくせえ」とかなんとか言って消滅していったが、私も「そうだな」と思う。子どもの頃からずっと。

面倒に思うというのはどういうことか、時々考えるのだけど(何故なら私はとても面倒くさがり屋だからだ)面倒に思う理由としては「予測できる」というのはあると思う。少し先の未来がわかる。経験的に、あるいは想像で。シミュレートした結果を、今から辿らなければならないと思うとき、その道のりの果てしなさに眩暈がする。掃除がどういうものかもわかるし、食器洗いがどういうものかもわかる。今からそれをやらなければならない。負担だ。

確かに、私たちは自分の生をある程度予測したり想像できるのかもしれない。私たちの常に前を歩く人たちがいるし、科学的なシミュレートもできる(地球の気温はどうなってしまうのだろう)。ただ、どんなに予想してもそれがまるっきり当たることはなく、そしてこの瞬間の自分の振る舞いでいくらでも未来は変わりうるのも私は知っている。つまらないと思っても、面倒だと思っても、生きるに足る理由をひとつ挙げるなら、私は「私の予想は必ず裏切られる」ということを挙げたい。

生きるのは面倒だ。なるべくそう思う機会を減らせるよう、時々は冷たい緑茶に感動しようと思っている。