アイスレモンティー

アイスレモンティー、時々飲むけれど、いつもレモンの種が気になりがち。

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「今日から私たちは他人同士ね」
自嘲を滲ませた声で咲子はぼそりと呟いた。先ほどからアイスティーの細長いグラスをかき混ぜ続けている。氷はほぼほぼ溶け、輪切りのレモンがグラスの底に沈み、小さな種が渦に翻弄されている。彼女がかき混ぜる限り、レモンが浮き上がってくることはないだろう。レモンの命運を握っている咲子。僕と咲子という関係においては、ストローを持ち続けひたすらにかき混ぜていたのは僕の方だったと思う。果たして自分は自分で自分の手を止めることができたのか。あるいは咲子が僕の手を掴んで止めてくれたのか、両者には大きな隔たりがあるに違いないのに、これ以上この件について考えたくない僕は考えることを放棄した。もう色々なことに疲れていた。
「もう十分かき混ざっただろう?」
僕は咲子に言った。彼女の手がぴたりと止まった。渦もまた消え、レモンもその種も浮き上がってくることはなかった。その力がもう残っていないのだろう。冷たい紅茶の海に、己の生気を吸われ尽くしてしまって軽くなってしまったレモンの輪切り。僕と咲子もまた同じように。
比喩表現はやめよう。自分を憐れむのもまた。
彼女は俯いたままだった。何か、僕から言わなければならない。
「他人同士というのは、」僕は喋り始める。
他人同士というのは、僕らはずっと他人同士でこれからもまた他人同士であるはずだ。だから今に始まったことじゃない。悲しむことでもないのかもしれない。感情的になるのは仕方ないが、これからも君のことは時々思い出すと思う。君がどうだかは知らないから、僕と同じようにあってくれとは言えないけど、それでも、まったく見知らぬ他人ではないのだからそれぐらいは思わせてほしい。
咲子はそれを聞いてふふっと笑った。そしてひとつため息をつく。
そういう物分かりの良さがあなたの良いところだと思うしすごいとも思うけど、私はもうちょっとあなたに執着して欲しかったと思う。言うなれば、
「言うなれば?」
もっとぐちゃぐちゃになって欲しかった。
そうして彼女は赤いストローに口をつけてレモンティーを吸う。人の魂、レモンの魂、生気を己の糧にするように確かにレモンティーを吸って喉を使って胃に流し込んでいく。彼女の、華奢な首の律動を眺めながら、どうして僕らはこれからも一緒に居られないのだろうと考えてしまう。自分は自分が思っている以上に幼いのかもしれない。納得がいかない。何故、他人のまま生きていけないのだろう。他人以上の存在になることを求めてしまうのだろう。
あなたと過ごせて楽しかった。
咲子は言う。特に良かったのは、こうしてゆっくりとお茶ができることだった。私が知っている男の人は喫茶店で過ごすことがあまり楽しそうではなかった。相手が楽しくなさそうなことはなるべく避けたいでしょう、だから、心置きなく喫茶店でおしゃべりできて楽しかった。
そう言うと、ハンドバッグから財布を取り出して(エメラルドブルーの長くて分厚い財布)500円玉と100円玉を置いた。それはことりと鳴った。
さようなら。彼女は立ち上がり(木の椅子がぎいと音を立てた)僕の元から去った。おそらく永遠に。

レモンティーのグラスは飲み干され、萎びたレモンとレモンの種が底に固まっている。食べ物も飲み物もきちんと平らげる、それは彼女の素敵なところのひとつだった。