創作

前に進めること

前に進むことではない あくまでこれは前に進めることの話 私はカヌーに乗っていて両手でオールの柄を握る とろりとした川面に(下流で波がほとんど立たない) オールをゆっくりと沈める そしてゆっくりと水を押し出す カヌーはなめらかに前へ進み始める 私の…

海沿いの道を歩く朝

気がついたら朝だった。部屋は青みがかった灰色。 遮光カーテンを引いた窓はうっすら明るく、窓から遠ざかれば遠ざかるほど暗くなる。 コーヒーテーブルの上に水の入った透明なグラスが1つ置いてある。 掛け布団を引きはがすと、私は起き上がり、窓際に立つ…

アイスレモンティー

アイスレモンティー、時々飲むけれど、いつもレモンの種が気になりがち。 *** 「今日から私たちは他人同士ね」自嘲を滲ませた声で咲子はぼそりと呟いた。先ほどからアイスティーの細長いグラスをかき混ぜ続けている。氷はほぼほぼ溶け、輪切りのレモンが…

渦を巻く

アカリは夢を見た。彼女の幼少期の夢だった。 彼女は、通いなれたスポーツクラブのプールでひたすらに泳いでいた。これ以上ないほどに懸命に。プールは6つのコースで区切られていて、どのコースも泳ぐ子どもたちでいっぱいだった。彼ら彼女らは延々と泳ぎ続…

緑色のインク

「死んでやるう!」と唐突に叫ぶと、十三子は机の上のインクに手を伸ばし、蓋をきゅぽんと捻ると、口をがばっとひらいて中身を注ぎ込もうとしたので、晶は驚き、急いで彼女の手を押さえた。 十三子が愛用するインクは、藻を限りなく増殖させたものを濾したよ…

短歌(2022年11月)

毎日を急いで生きているわけで 自動のドアに体がぶつかる 自動ドアが開くのを待たずぶつかりました。ただのせっかちと言うこともできますな。

待ち合わせの時間

人を待つということ。 私から言わせてもらえれば、それはとても滑稽なことのように思う。 誰かを待っている私をこの私が見る。 待ち合わせの駅の改札前でぽつねんと立っている私はとても不安そうに見える。落ち着かずにきょろきょろと忙しなく首が動いている…

短歌と俳句(2022年9月)

短歌 秋の月 うかぶ夜の信号の横断歩道のひびがきれいだ 結構好きな一首だと思う。月の明かりと夜空の濃紺と青信号の青。見上げることと目線を下げることの動き。 塾終えて松屋の前を通る君 ヒールを鳴らすあなたが眩しい 女の子が踵の低い靴を履いていてそ…

短歌と俳句(2022年8月)

短歌 ママチャリの後ろに座る小さな子 紗々をあける手小さな手 交差点で信号待ちしていると、自転車の後ろに座った男の子が目に入る。その子は紗々の箱を持っていて、一つ手に取るとまさに開けようとしているところだった。私は紗々という菓子を食べたことが…

海へと続く道

大型トラックばかりが通る二車線道路、騒々しい車道沿いに申し訳なさそうに伸びる歩道は、歩き易いとも言えるし歩きにくいとも言える。歩きにくいといえば、家から20分ほどの場所にある国道は酷かった。道幅は人がすれ違えないほど狭く、車道と歩道の境界線…

短歌と俳句(2022年7月)

短歌 人間を嫌いになるのがいやだから やりたくないな 新人研修 そのままの歌です。人を知れば知るほどその人のことを嫌いになる気がして、だから嫌です。人のことを考えれば考えるほど嫌いになりそうで、嫌です。でも、そう思っちゃいけないのかなと思って…

短歌と俳句(2022年5月)

2022年5月の短歌と俳句。 エッセイ的な日記的な文章を書くのが楽で好きなことではあるけれど、短歌だからこそ俳句だからこそできることもあるだろうし、同じことでも表現の違いで出力が変わり結果的に味も変わることがあるだろうと考えている。じゃあ、短歌…

怪獣になりたい

怪獣になりたい 愛して愛されて倒れた果てに街を潰すの まじで怪獣になりたいと思う帰り道だった。特に何かがあったわけではないのだけど(本当に!)そういう日もある。強いて言うなら、日の入りがどんどん長くなって全然暗くならなくて、明るいうちに帰る…

俳句(2022年4月)

2022年4月の俳句。 泥濘をよけた爪先躑躅かな 春の泥として「春泥」ってのがあるけど、泥濘だけだと季語になるのかよくわからない。季語になると躑躅と季語が重なってしまう。 昨晩の雨があがり、砂でできた道に泥濘ができている。スニーカーを汚したくない…

透明な愛

特に何かを考えていたのわけではないのだけれど(嘘、色々と考えていた)「透明に愛したいな」という言葉が湖の底から浮かんできた。本当にそうだった。それしかないと言っても過言ではなかった。いつだって頑張れなかったのだがもう頑張れそうになかった。…

不機嫌の果実

あなたの不機嫌は私を縛るのだと知っているならまだしも知らないということの罪は重たいと私は思う だから私は3cm大の飴を常備する 真っ赤な色をしたいちご味の飴をおや指とひとさし指でつまんであなたが口を開けたら口の中へ押し込んでやる カランコロン…

寝る前の告白

ときどきだけども 一日の終わりの5分前に差し掛かり たりない が暴走する ことがある 暴れ回る精神をセーブするのは眠気とやらで 人間といういきものの制御機構は 正常に機能しているとご満悦だ たりない頭の片隅で

小島を切り崩す

小島を切り崩す それはとるにたらないことなのだと 気づくことから始めてみたら? ホワイトソースの海に黄金色の卵の島 かけられたチーズはとうに冷め 固くなりつつある とるにたらない存在なのね私って ぼそりと呟く 対峙する相手は悪魔的な笑みをたたえ、…

骨の記憶

池の真ん中、ぽつんと浮かぶ小島に大きなケヤキの木一望できる場所にベンチがひとつ剥げかけた白塗りのペンキ私が腰掛けると悲鳴をあげて傾いだ 凪いだ水面を見つめる私は火山灰を所望する降り積もる死の雪に埋もれるこの私朽ちた肉体のその先に骨にきっと刻…

沼の底

私はただ一人、沼の底を歩いていた。 履き慣れたスニーカーが沼底の砂を捉える感覚が、足を通して肺の方まで伝わってくる。前に出した足にぐっと力を込める。わずかばかり砂に沈み込む。沈み切ったところで爪先で砂を弾く。そうして体を前に押し出す。体が前…

悪しき種

電話に出たA子が苛ついているのがわかる。だから私は言ったじゃない、危ないからもう乗るなって。それからさらに5分ほど通話してA子は電話を切った。乾いた喉を潤そうと、アイスコーヒーのストローに口をつけた。 なんかあった? 私はA子に聞く。随分怒って…

青が好き

青色が好き。 それは空の色だから。 水を彷彿とさせる色だから。 青色の財布を買ったの。 じゃーんとお披露目したら「それって男の人用でしょ」と言われ、 初めて、あ、と気づいた。 店員のお兄さんは私にどの色も勧めなかった。 これは私が自分で決めた色。…

マスキングテープ

愛用していた浅葱色のマスキングテープの終わりが近づいていることに気づいた時、浩は背筋がゾッとするのを感じた。マスキングテープを使う場面は限られていて、この色だっていつ買ったのか覚えていないくらい前のものであるはずなのに。備忘のメモをデスク…

雨も幕も上がる

一晩中降り続いた雨は、午後四時ごろあがった。 暗闇の方から聞こえてくる雨音。しとしとと降る雨は地上にかかる紗幕のはたらきをしていて、私は世界からポコンと押し出されてしまったような、そんな心許無さを感じる。ひとり机に向かいながら書き物をする私…

白熱灯

密が生まれ育った団地で思い出すのは、まず階段の踊り場の白熱灯だった。 五階建ての団地は、いつもどこかの踊り場の白熱灯が切れかかっていた。夜になると明滅する灯り。椎奈はちろちろ点いたり消えたりする灯りの下では本が読みづらいからと、今日は一階か…