渦を巻く

 アカリは夢を見た。彼女の幼少期の夢だった。
 
 彼女は、通いなれたスポーツクラブのプールでひたすらに泳いでいた。これ以上ないほどに懸命に。プールは6つのコースで区切られていて、どのコースも泳ぐ子どもたちでいっぱいだった。彼ら彼女らは延々と泳ぎ続けていた。
 室内の灯りは強烈なオレンジ色だった。それは例えるなら、田舎の高速道路を淡々と走るさなかに見かける色だった。フェンスの向こう側に見える、製紙工場内の無人の道路を照らすオレンジ色。あるいは、ぽつりぽつりと夜の闇に浮かぶガソリンスタンドの照明のオレンジ色。
 私たちは工場で働く子どもたちなのだわ。私たちがこうして馬鹿みたいにプールの中をぐるぐるぐるぐると泳ぎまわることで何かが起きている。大人は私たちがそれをすることを望んでいる…。
 夢の中のアカリはそう思った。とにかくたくさんの子どもたちが苛烈に泳ぐものだから、プールの水面のいたるところで黒々とした波が起こっていた。息継ぎの際に水を飲みこまないよう、アカリは慎重に素早く息を吸った。いのちを感じる空気。
 水の中はとても暗い。プールの底にまっすぐに引かれた青色の線がかろうじて視認できるかどうかという暗さだった。
 
 夢はそこで終わった。カーテンの隙間から見える色から察するに、まだ日が明けて間もない時間帯のように思えた。
 アカリの意識は冴え冴えとしたものだった。次第に薄らいでいく夢の気配を、静かに丁寧に辿りながら、一方で彼女は考えている。これは何かの暗示だろうか。
 懸命に泳ぐ子どもたちからは苦しさのようなものが感じられなかった。夢の中のアカリも同様で、体には不思議な活力が満ち満ちていた。自分(たち)がそれをすることへの懐疑はあるものの、全身をめぐる充実感に心地よさまで抱いていた。そのことから得られる教訓は何か。私が今も泳いでいないと誰が証明できるのだろうか。
 空が白んできたようだった。アカリは思いっきりカーテンを開けた。アカリのことを見ている誰かの顔面に突きつけてやる気持ちで思いっきりレールを引いた。ほうら、カーテンを開ける自由は認められている、と言ってやった。その気になれば自分は好きなことができるということを、アカリは知っている。あの頃の私では考えられないようなことができる。
 でも。
 身支度の為にてきぱきと手を動かしながら、アカリはこうも思う。所詮はプールでないだけで、私はずっと泳いで泳いで泳ぎ疲れたことすら自覚できないまま泳いできて、その光景はきっとあの子どもたちのようにちょっと滑稽に見えるものなのだわ、ということを。
 ぐるぐるとコースの中を周遊する子どもたち。何かに似ていると思ったが今思い出した。水族館の大水槽見た、泳ぎ続けるマグロの姿のそれだった。

 

***

 ひたすらプールで泳ぎ続ける夢を見た。走ることにも言えることだが、何かに夢中であることは辛さを鈍麻させる効用があると思う。楽しいには楽しいが、では私でなければその楽しさはどう見えるのだろうか、みたいなことを考える。