ノイズ

 3年ヘッドフォンを使った。そろそろ買い替えたいなと思ってネット上で探していたところ、狙っていた製品が「在庫あり」となっていたので、注文してしまった(ちょっと前に覗いたときは品切れになっていたのだ)。何故かセール中で七千円引きとなっていた。私はものを選ぶときに躊躇があまりない。自分でも怖くなるほどに。22時のことだった。

 それから数日後、まだ時刻は9時になっていなかったと思う。チャイム。宅急便。発送メールが届いてなかったから油断していたが、どうやら注文したヘッドフォンが届いたらしい。予想外の出来事に心が躍る。小さな段ボールを受け取り、カッターで素早く開封した。仰々しい買い物をしないので、ちゃんとしたパッケージに出会うとこれもまた心が躍る。とても合理的で洗練された梱包。

 話は変わるけれど、私はノイズキャンセリングというものについて抵抗感を抱いてきた。仕組みに対して何か思うというよりは、私が好むスタイルには合わないなと思っていた。私は歩きながら音楽を聴くのが好きで、私の好きな音と生活の雑多な音が混ざり合って生まれる感情みたいなものに惹かれていた。自転車のブレーキ音。車の走行音。子どもの笑い声。サッカーボールを蹴る音。ホースの先についたシャワーヘッドで散水する音。実際、好きな音と生活の音のミックスから連想することもたくさんあるし、それはどれも私にとってかけがえのないものだった。早い話が、私はそういうものに価値を認める人間だった。

 てっきりノイズキャンセリング機能はないと思っていたが、どうやら私の買った製品にはノイズキャンセリング機能が備わっているようで、そのことは私をそこそこがっかりさせた(ノイズキャンセリング機能をつけるくらいなら値段を落としてほしいと思っているぐらいだ)。ただそれ以外は特に文句をつけるところがない、良いヘッドフォンでもあった。

 ノイズキャンセリングはそれとして、新しい買い物は私を高揚させる。うきうきで午前中はヘッドフォンを充電させたのち、お昼前に早速買ったばかりのヘッドフォンをつけて散歩に出かけた。

 自転車が走り去る音が聞こえなかった。これがノイズキャンセリングであった。本当に聞こえなくて、好きな曲と私しか世界には存在しないみたいだった。

 私が買ったヘッドフォンには外部の音を取り込む機能もあり、それも試してみた。多分ヘッドフォンで良い感じに調整しているからだろうけれど、不自然に聞こえるところがあった。たとえるなら、目の前の風景をビデオで撮影してそれを見ているときの音。とはいえ、別に悪くない。音質の良し悪しも正直私はわからないのだし。

 ヘッドフォンを外すと、外界の音が一気に耳に流れ込んできた。このヘッドフォンはただつけているだけでもそれなりに外の音をシャットアウトできてしまうらしい。密閉性が高いのだろう。ああ、世界にはこんなに音が溢れているのだな。そういう感想を、私はヘッドフォンを外すたびにいちいち抱くのだろうか。あるいはしばらくすれば慣れてしまうのだろうか。それは寂しいなと思って、この感覚を書き留めておこうと思う。