カーブを抜けた先

 先日、久々に自転車を漕いだ。川沿いを走り、海に行ってみよう、という目論見だ。この機を逃せば当分自転車には乗らないだろうと思ったので、7キロぐらいの折りたたみ自転車を担いで、よろよろと歩く。元気である限りやりたいけど、どうなのだろう。

 ペダルを足で踏みこむ。生を感じる。泳ぐことでは得られない、直接的な筋肉への負荷を感じる。水泳は全身運動だし、地面や壁やボールを追いかける運動ではなく、あくまでじんわり効いてくる力なのだ。多分、水泳をしてこなかったら、歩くことも走ることも自転車を漕ぐことも、今ほどには好きにならなかっただろうと思う。

 漕ぎながらスピッツの「スパイダー」を歌った。可愛い君が好きなもの。スピッツは風が似合う曲を探すのが容易いアーティスト、か?

橋が好き(これは上水道だと思う)

 

首都高(おそらく)

自転車道

 海はすぐそこだ。

 

 

 カーブを抜けるとそこは海だった。道中が楽しかったので「ようやく…」みたいな感慨はないけども、視界がひらける感じは気持ちがいい。度々海に行くのだけど、定期的にひらきたいと思うのかもしれない。山は「ひらく」というより「ぎっしり」を味わう感覚のが強く、またそれも必要な養分なのだけど。

 

 自転車を停めて、ゴール地点の海沿いの公園を散策した。休日ということもあり、親しい人たちと憩いのひとときを過ごしている風な人が多かった。人の幸せというものは、こちらの気持ち次第で見え方は異なるもので、自転車をたくさん漕いで元気な自分にとって、園内を楽しそうに歩いたり休んだりしている人の表情は、素敵に見えた。そう思えるよう、なるべくこちらも元気で健康でありたいと思った。

 青い空の下で聴く米津玄師の「LADY」は格別で、曲のジャケットの青と相まって、休日に彩りを与えてくれる。青い空が似合う。聴きようによっては悲しい曲なのだけど、ぜんぜん悲しくない温かみと張りと適度に肩の力が抜ける曲調がいい。

 散策に満足したところで、再び自転車に跨ると、もう少しだけそれを走らせて、食べてみたかったカレーを食べて帰宅した。