曇天

好きな漢字というのはいくつもいくつもある中で、曇も好きな漢字である。書いていていつも楽しい。曇天という熟語は、曇のぎっちり具合に対して、天のあっけらかんとした素朴さの対比がいい。朝の散歩は、曇天の下、30分くらいゆっくりと。

音楽で容易く気分が変わるものだから、ヘッドフォンをつけたまま、音楽は特にかけなかった。曇天に似合う曲はなかなか見つけられない。テンションを上げたくもないし、下げたくもない。晴れることなく、雨が降ることもない曇天と同じような気持ちでありたいと思っていた。それは私にとってまあまあ難しいことだった。上着のポケットに入れているコンデジを取り出して、真上を見上げて空を撮った。

 

夕方。家から出る。朝の曇天は何処へ去っていき、晴れの青と雲の灰と夕焼けの赤が混ざった色をしていた。どうして天気というのは一定でないのだろう。どうして季節というものは巡ってくるのだろう。変化に少しうんざりしている自分がいるようだった。自分の気の変わりように苛立つのもある。とはいえ、季節は巡ってくれなければ困る。この場所においては。

朝と同じようにカメラを持って、再現不可能な空のグラデーションをカメラにおさめた。