見てきた風景

撮った写真ファイルの中から毎月10枚を選ぶ。

2019年から始めて、500枚以上の写真を、初めてアルバムに整理した。それまでは乱雑にせんべいの缶に入れていたのだけど、アルバムに収めたくなったのだ。撮った瞬間を共有する相手がいない写真がほとんどで、どれも私だけの写真だ。

撮った写真のことは覚えているし時折手にとって眺めていたから、感慨深さのようなものはない。私が死んだ後に遺品整理のさなかにこのアルバムを触る誰か(親戚なのか警察なのか清掃業者の人なのか、それとも)が、「この人ってこんな景色を見てきたんですね」と言って少しだけ感心してもらえたらいいな、と思っていたりするけども、死に方はあんまり選べないものなんだよな、とも思う。気分がよく変わるから燃えるゴミにぶち込む可能性もあるし、あとは、石がごつごつとした夏の河原で、暑い暑い言いながら燃すのもアリだ。

 

最初は、手のひらから零れ落ちる砂のような時間に抗いたくなって始めたもので、今、その役目は日記に受け継がれ(2019年の私はまだ毎日日記を書くことはできなかった)写真の役割は、風景や物の記録になりつつある。なんというか、場所とか物とか撮ったときの温度や感情の記憶って、大事だ。