夏が終わるにはあと1か月ほど必要だった頃、私は鞄を買った。その鞄と一緒に旅行にも出かけた。憧れの鞄だった。

 その鞄は牛の一枚革を贅沢に使ったもので、たぶんこの鞄を最後に私は革製品を買うことはないだろうと思う。嘘。今使っている財布とパスケースとキーホルダーが駄目になったら買うかもしれないけれど。ここで言いたいのは、もうこの鞄を最後に積極的には革製品は買わないだろうということ。それは、アンチ革製品だからではなく、心情として? 買わなくていいなら買わない。今あるものを大切に使うということ。

 鞄には持ち手(ハンドル)と肩掛けベルトが付いている。鞄自体が少し重たいので、私は肩にかけて使っている。持ち歩かなくていいものは極力持ち歩かないようにしている。

 今日はその鞄に、図書館で借りた本と、読んでいる途中の自分で買った本と、泳ぐ為の道具一式と財布を入れていた。それ以外の細々としたものは上着のポケットに入れていた。

 肩掛けに飽きたと思った。思ったので、鞄を持ち上げて体から肩掛けベルトを外すと、私は右手で鞄のハンドルを持つ。この鞄のハンドルは短めにできているので、ビジネスマンが持つアタッシュケースをイメージしてもらえれば、それと同じ風に。

 ひったくられると困るので、道の右側を歩いていれば右手に、左側を歩いていれば左手に都度都度持ち替えながら、私は鞄と移動する。ただそれだけなのだけど、いい感じだなと思って、これはそういう文章である。