持っていない誰かのもの ~散歩に行く vol.4~

 散歩。日中から「聞きたいなあ」と思っていた女王蜂の「HALF」をノリノリで聴く。東京喰種見てないけども、そして「ぐーる」で「喰種」に変換できることに驚きを隠せないが、東京喰種を観てもいいなと思う。視聴待ちリストに入れておこう。そもそも観られるか? すれ違った、おそらく私と同じ散歩の男女の片割れ、男性の方が大きく煙を吐く。ちょうどすれ違ったときに被ることになるけど、こうして振り返ってみて少しだけ「む」とする程度。あんまり苛々しない。散歩途中の煙草は美味いか。
 米津玄師の「恋と病熱」。「誰も嫌いたくないから ひたすら嫌いでいただけだ」、天才かー、この歌詞。3House&Flower.farの「U&I」。「私とあなた」か。私とあなた。あなたと私。人間関係の最小単位と言うのは容易い。その厳然さにたじろぐというか、英語ってそういうところ(どういうところ?)あるー、と思う。逃れられないし、対峙するべきという思想。
 杖をついた女性が前方を歩いている。リュックからねぎが飛び出ている。左手にスーパーのビニール袋。すぐに彼女に追いつき、追い抜く。足が不自由であること。ゆっくりでしか歩けないこと。自分が持っている当たり前のもの。私は持っていない誰かのもの。
 倖田來未のTABOOと宇多田ヒカルtravelingの流れは我ながら天才というか、よしよし、という繋ぎ。やはり動きながら、流れながら聴く音楽が聴き方として一番好きかもしれない。散歩中に聴く音楽は楽しい。散歩の後に喰う飯は美味い。最後にLOONAのWhy Not?で締める。LOONAというグループとして活動する未来は見えない。ああ、この曲をパフォーマンスすることもないのか、寂しいけれど、めちゃめちゃ悲しいかというとそうでもない。私が考えていたのは、信じていたものは、あると思っていたものは、当たり前ではないし、嘘とは違うけど、簡単に無くなるということ。