おしゃべりで埋める作業

 MDノートジャーナル 1日1ページを買う。ページ数は368あって、1日1ページ、1年間使えるノートだ。続けられるか。続けられないかもしれない。新しいことを始めるにあたっていつも付きまとう言葉だ。「続けられないかもしれない」。1日で何かを区切るという考えはそもそも苦手なのでは私。いや、苦手でもないのかも。でも1年で区切られているスケジュール帳は大っ嫌いだ。それはさておき、続けられるのかわからないけれど、それでも私がこのノートを買おうと思った理由がある。

 まずは、比較的毎日ノートを開いて書く習慣がついたこと。私はこれを「日記めいたもの」と呼びたい。何故「日記」と呼ばないのかというと、その日の出来事や感想を書くわけではないからだ。今、考えていること、思っていること、考えたいことを書くのであって、○月○日という日付はあまり関係ないように思えた。実際は、あとで読み直すときに(最近は結構読み直すようになった)「○月○日にAということを考えていた」ということは非常に重要なのだが、書いている瞬間はそこまで大切なことじゃない。というか、日付という枷のようなものは取っ払えるなら取っ払った方がいいとさえ思う。

 私に習慣づいたのは、考えていることを毎日どこかで(ブログはまったく別の話)アウトプットする行為だ。毎日何かしら書くことができているなら、1日1ページもいけるのでは? という自信。

 もう一つは、これは最近のことなのだけど、とにかくページを埋めたくなっている。とにかく細かく他愛もない言葉でページを埋めたい。埋める為には、枠が必要だ。枠があって初めて埋めたいと欲望する。海に文字を書けたとして(そんなことはないけれど)海は広大で仕切りもないから埋めても埋めても埋まらない。埋めたいのは、埋めたいからで、埋まらなければならない。埋まる為には、一定の範囲を決めなければ埋まらない。その範囲を、枠を、私は1日1ページにしようとしている。MDノートじゃない他のノートでも可能では。それはそう。でも、このペースでノートを書いているとどんどん溜まっていってそれはそれで負担なのだ。なるべく「どどんと」ページ数のあるノートを使って冊数を抑えたい。あとB5のノートはサイズ的に埋められないかもしれない。B5サイズで、厚みもそれなりにあって、書きやすくて、デザインも良くて。それはMDノートになる。

 埋めたいという欲望。どうやら最近の私は以前よりさらにおしゃべりらしい。考える為に喋ることが必要で、考えるために私は喋りたいみたいだ。何故考えたいか。考えないと血肉にならないしいつまでも他人事だからだ。

 MDノートは無地タイプにした。方眼とドットがあったけれど、図を引きたいわけではないので不要かなと。しばらくの間ずっと罫線のノートを使っていたから、無地のノートの「なんでもできる」具合は非常に恐ろしい。私は3平方mmぐらいの文字の大きさで、とにかく細かく考えていることを吐き出していく。そしてページから溢れたものは、別の雑記帳に飛ばしてしまう(調子が良いと1日1ページでは足りないらしい)。

 このノートが遺書だとは思っていないけれど、遺書みたいだと思う。さしたる願望もないなか、自分は書く為に生きる(生きていれば書くことには事欠かないからね)食べる為に生きている、と表現するのは過言ではないかもしれない。ちなみにEvernoteでそれをやろうとしたけれど、Evernoteはデジタルだから延々に埋まらないんだよね、消化不良でやめた。