夏が終わる

そういえば写真を撮っていなかったな。

私は、リュックを体の前にまわして中からコンパクトデジタルカメラを取り出し、目の前の立方体の建物を撮った。取り壊しが決まったようで、建物に密着するように工事の柵が建てられ、面白いことに二階部分の窓は開け放されていた。これから夜になる。まずいものが入り込むことはないのだろうか。私は怪訝に思うのだった。まずいもの、イメージとして霊的な、何か。

夕焼けを背に、一羽の真っ黒な鳥が遠く頭上を横切った。それも撮った。前方の空に積乱雲が見えた。それも撮った。

写真を撮るのは久々なことのように思えた。それは実際には嘘で、というのも、先月だって10枚選べるぐらいには写真を撮っていたのだから。しかし「撮った」という感覚を覚えたのは、ずいぶん前のことであるように思えた。1ヶ月より、前。記憶を辿るに、急ぎすぎていたのかもしれない。それはそれで元気でいいのだが。

日の入りは頂点をとうに越えている。太陽が沈むのが少しずつ早くなってきている。今日、ふとそのことを実感し、ああ、夏はもう終わるのだなあ、と思って、宇多田ヒカルの『真夏の通り雨』をApple Musicで探して何回か聴いた。普段私は、スケジュール帳に「起こったこと」を書いているのだけど、毎日の日の入りの時刻を書いてもいいかもしれない。歩数と、日の入りの時刻と、その日読み終わった本があればそのタイトルを。

もう夏が終わる。夕暮れの町を涼しい風が吹き抜け、私はまだ何もしていないし、そう思ってる限り何もできないような気がする。体のペースと思考のペースを合わせよう。