ヤドンちゃん

ヤドンちゃんが来ました。

ヤドンちゃん? ポケモンヤドンのぬいぐるみです。7月21日に発売されたもっちりぬいぐるみおやすみヤドンです。ポケモンスリープのグッズになります。私はこのぬいぐるみの存在を知ると即座に「買う」と反応し、実際に発売されるや否やオンラインショップのカートに入れて決済をしたわけです。何かを買うことって楽しいよね。今、ヤドンちゃんはこの文章を書く私の腿の上に寝てもらっております。時々、ふわふわな腹をぽんぽんと叩かせてもらっております。かわいい。

ポケモンセンターオンラインの箱をカッターを使ってじゃじゃじゃと開封し、緩衝材を取り出すと、そこにはおやすみなヤドンが。胸ときめかせながらそれを取り出し、私はふと考えます。かわいいものを愛でるということは、難しい、と。

 

私は、自分が気分屋であることを自覚しており、感情はあまり長続きしません。それは良さでもありますが(何故ならネガティブな感情も続かないからです)何かを一途に好きでいられない自分が嫌になるというか、嫌になるのとは違うか、どうしたらずっとこの感情を維持できるだろうか、ということを考えます。ずっと好きでいたいし、ずっと尊敬したい。ヤドンちゃん可愛いという感情もいずれ冷めてしまうのかと思うと、せっかくの幸福な感情も空気の抜けた風船のように萎んでいきます。

今、愛せ。それはそうでしょう。私はそれができます。でも、今、愛すること、その継続はできないのです。悲しいことですが。ヤドンちゃんのことをずっと可愛がれる私ではないですが、可愛がれないことを言い訳にしないで、なるべく長くヤドンちゃんと付き合っていきたいです。ぬいぐるみを買うということはそういうことになります。とりあえず寝る時は枕元にクッションを置いてその上で寝てもらおうと思います。ありえないほどかわいい。

そして、かわいがる、ということそのものもまた難しい。私はそこに、上から下へ、という構造を感じずにはいられない。かといって、過剰に相手を持ち上げたり、自分を遜る様も共感できない。フラットな感覚を持ちたいのだが、上か、下か、どうも意識してしまう。私がそれを可愛がることができるのは、偏に、私がそれに対して優位だからではないか。

大人になってからぬいぐるみをちょっとだけ手に入れるようになった私は、ぬいぐるみの愛し方がわかりません。