電車に乗る

 電車に乗る。私はご満悦。

 

 電車に乗ると、最初の方こそ色々と慌ただしいけれど、次第に考えることも無くなり凪いでいくのがわかる。本当に考えることがなくなるのだ。考えなければならないことはあるけども、それは私の考えたいこととは限らない。

流れ

 又吉直樹『東京百景』を読む。又吉さんは文学への造詣が深いと思う一方で、私はそうでもない。本を読むのが好きです/趣味です/は、音楽が好きです、くらい大雑把な括りで、インストが好きなのかクラシックが好きなのかヒップホップが好きなのかアニソンが好きなのかポップスが好きなのか、細分化できるのは本も音楽も同じであって、ただ「文学が好きです」というのは、本好きの本流だと思ってしまう。そうとも限らないのに、どこか「正統である」と思うのが不思議だ。私が本を読む理由があるならば、それはおそらく、本というものが流してくれるものだからだろう。自我を脇に置いて一時的に遠くへ追いやってくれるものが、本。流れをいつも欲している。昔の人の書いた話は慣れていない分流れにくくて読みたくない。読める私でありたい。読めない。車窓から見える景色も流れていく。気になる餃子屋の看板が見え、忘れないようにメモしておく。

 

ADIDAS

 ポケットの部分に白字でADIDASとプリントされているリュックを見かける。ブランドのロゴって大事だなあと思う。正直ADIDASという文字はぴんと来ない。あの独特のフォントでadidasで白線三本でできた三角形がついていないと。他人のかばんに自然と目がいく。お? と心が動くかばんを見つけると、持ち主のことをちょっと好きになってしまう。珍しかったり不思議とその人に似合っていたり、そういうかばんは魅力的。

 

居眠り

 電車に乗っていて居眠りすることはほとんどないのだが、疲れたのか、数十分だけ目を閉じて眠る。眠りが深い方なので、一度眠ると起きられるか心配というのもあるが、少なくとも居眠りで乗り過ごしたことはない。本を読んでて乗り過ごすことはある。7割ぐらいの出力で眠る感じ、また浮上して醒めなければならないという緊張感、かたい体、居眠りは居心地が決して良いものではないのに起きると妙にすっきりするのが不思議だし、憎い。目が覚めると乗客が多少変わっているのも面白い。そして、変わったこととしては、時間が流れたのと、景色と乗客ぐらいで、それ以外は世界は特に変化していないのも不思議と言えば不思議。ああ、変わっていないのだなあと、違和感を感じるのは、映像のカットにずぶずぶに慣れているからかもしれない。視点の切り替え、シーンの切り替え。

 

推し駅

 その駅は、複数路線が乗り入れているのに、駅構内がほどよく広く、人が少なく、風通しがよく、ベンチもあるので好き。