同士討ち

ゼルダの伝説の新作 ティアーズ オブ ザ キングダムの話をする。かのゲームのあらゆる情報をシャットアウトしたい場合は回れ右。

ストーリーについては、三週間プレイしているにも関わらずあまり進んでいないので語れることは少ない。メインストーリーがある時点からほぼほぼ進んでおらず、上に下にマップの解放に日々励んでいる。走るだけで楽しい、それがゼルダの新作。

 

ティアーズ オブ ザ キングダムには、対象を混乱させるコンラン草という植物が存在する。毒々しく濃い紫色の花を咲かせる、前作ではおそらくだが出てこなかった植物だ。このコンラン草を矢につけ打つと、相手は混乱状態に陥る。周囲の仲間も敵と誤認し仲間割れが始まる。

私はこのコンラン草をいたく気に入り、積極的にボコブリン(ゼル伝の雑魚敵のひとつ)の群れを壊滅させてきた。遠くから、あるいは頭上から弓を放ち、敵同士でお互いのHPを削り合っていく様を遠くからにこにこと眺める。そして最後の一人となった奴を悠々と狩る。とても楽しい。そういえば。私は思い出す。有名なミステリにこういう話があったな。

先日も同士討ちをさせた。とても大きく丸々と太ったボコブリンとその手下四匹が、仲良く列をなしてぐるぐる回っていたので(春先のカルガモの親子のように)私はでかいボコブリンを錯乱させ(一番攻撃力が高いし的としても当てやすい)手下を一掃してもらった。これまた大きな棍棒がぶんぶんと振り回され、それに当たった手下は二発で吹っ飛び、草原にどさっと落ちて、消えた。残ったのは爪や角と武器だけ(敵はやられると消滅し、アイテム化した体の部位が残る)。最後に残ったでかいボコブリンに私はバクダン花を打ち込みとどめをさした。ゼルダというのはそういうことができるゲームだ。

 

好きなシチュエーションというのは細分化されていく。例えば、戦隊ヒーローが敵にボコボコにされて急死に一生のピンチになるのは割と好きなのだけど(私はここにサディズムの弱い気配を感じる)ごく一般的な人たちがリンチに遭うような状況は好まない。例えば、勘違いをベースに進む話がかなり苦手なのだけど(困ったことに仮面ライダーファイズは勘違いが物語のスパイスになっている、好きなのにそれだけが痛む)ボコブリンの同士討ちについては何も思わない。

理も何もあったものではない。だがしかし、何かを好むという、その現象の根底にあるものについて考え続けている。楽しいから。

ボコブリンの同士討ちは可愛いものだが(ボコブリンはなかなかに可愛いフォルムをしているのだ)人間の同士討ちはそこまでわかりやすくない。猜疑心もありながら相手を信用したい気持ち、さまざまな感情で揺れ動く人間はボコブリンのように明快に錯乱してはくれないし、もしきっぱり惑ってくれたなら人間としてのリアリティに欠けてつまらなく思えるだろう。快の感情にも、わかりやすさの領域におけるものと、そうでないものとがあるように思えた。