朝7時42分、散歩がてら少し遠くのコンビニへアイスコーヒーを買いに行く。春野のLos Angelesという曲が気に入りすぎて、ずっと聴いている。好きな曲が見つかるとそればかり聴く。昨日の雨が残っていて、大気に水の気配と植物の生気の香りがすごい。街路の植え込みのつつじが露を光らせる。コンビニひとつ行くのも何かを考え、行きづらさが年々少しずつ高まっている。物事のある側面で過敏に反応する一方、間違いなく何かに対しては鈍化していっている。過敏である部分はもう少し粗雑に、鈍化している部分についてはなんとか踏みとどまりたい。例えば、政治を諦めない、考え続けること。

 撮りためた写真の被写体を分類していると、道の写真をよく撮っていることに気づく。道は好きだ。歩かなくなればたちまち自然に飲み込まれていくところがいい。人がたくさん行き来すれば道ができるところも素敵。アスファルトに芽吹く草花に、近未来を想像する(ひびわれ盛り上がったアスファルト)。

 恩田陸のムック本を2年越しに読み終わる。文章を書く人の源流について考えている。こうしてブログをちまちまと更新している私にも、書くみなもとのようなものがあり、それは一言で書ききれるものではないが、「音楽」というのは要素としてある。特に歌詞が。詩。今のところ短歌も俳句も違うと思うのは、点から広がっていくイメージだからで、鬱蒼とした密林、そこから隠れた茂みの厚ぼったい葉の上の露に照準が移っていくイメージの方がしっくりくる。小説の中の一文、歌詞の中の一文、光るものを宝探しのように集めたい。Los Angelesの歌詞だと「あざやかな致死」とか「あなただけが化石になってしまえば」とか。理想ばかり書いても仕方ないな。健やかに、生きていこう。