頭痛のあった一日

頭痛

 頭痛持ちではないのだが、長い長い散歩のあとはよく頭が痛くなる。頭が痛くなるほど歩かなければいいのだが、せっかく出かけるのだからと、体力が底をつくまで動き回ってしまうかららしい。早い話が、疲労による頭痛。好奇心と貧乏性。今回はさらに、長い散歩のあとにプールに寄って泳ぐという無謀をはたらき(酷使した足の痛みは泳ぐことで和らいだ)、結果、一晩寝ても回復しなかったらしい、朝から頭が痛む。結局、午前と午後にそれぞれ小一時間ほど昼寝をすることでようやく収まった。長い散歩、体へのダメージが過ぎる。泳ぐこともまた、とても疲れる行為だ。

 

墓参り

 少し前に気づいたのだが、星野源『ステップ』は墓参りの曲だ。ということで、手桶に水を溜めながら、かの曲を頭の中で再生する。陽気なメロディ。弦の音。12時30分に墓地に集合。他の面子が集まっていない。墓を掃除しているうちに揃ったので、銘々供えたいものを供え線香をあげ、手を合わせ、墓参り恒例の会食ということで出口へ向かう。自分にとっては久々の墓参りだったので墓地という空間が改めて物珍しく感じ、観察してしまう。珍しい苗字だったり、享年だったり、墓のデザインだったり。

 

そば

 他人の金で食べる飯はうまい、かは関係性に寄ると思うけど、今日のはおいしかった。和食ファミレスで食べる二八そばと天丼セット。そば自体は好き、めんつゆは嫌い。ざざざと啜れる冷たいそばの心地良さが、めんつゆの嫌いさを凌駕しつつある。頭痛と車酔いがほぐれていく。空腹だとどうしようもないと思う。座敷席では法事終わりの団体。遺影らしきものが見える。誰かの夫。誰かの父。誰かの祖父。誰かの友人であり上司であり後輩。関係性の網目の、結節点にある人間のひとつの死。結節点が失われたあとの網目は違う形で紡がれるのか否か、よくわからない。その人が死んでいるか生きているかにかかわらず、思い出話は苦手なのかもしれない。自分が幼稚園に通っていたころ、ストレスで十円はげができたことをこの期に及んで初めて知る。遊戯会と音楽発表会で自分ひとりしかいない役、楽器を担うことによるストレスだったらしい。マリンバ楽しかったけどな(音楽発表会で背が低いにも関わらず、何故かマリンバ担当だった)。