語彙

三月一日から語彙ノートをつけ始めた。

自分の語彙が豊富だとまったく思っておらず、むしろ語彙のレパートリーは貧弱な人間だと思っており、語彙の豊富さとかはどうでもいいと言えばどうでも良い。乏しいボキャブラリーを充実させたく語彙ノートを始めた、と言えば誰もが納得すると思うのだが、二ヶ月ほど続けてみて感じるのは、私の語彙ノートというのは、自分のわかってなさに対する挑戦である、ということだ。

何かを説明するとき、まったくその分野に明るくない人に説明してもわかるぐらいまで自分の中で理解を深めよう、ということを結構意識してしまう。

語彙もそうだった。たとえば、「憂う」という言葉がある。私はそれを雰囲気で理解しているが(多分人の言葉に対する理解はそんな程度である)実際のところよくわからなかったので辞書を引いてみた。恩田陸『麦の海に沈む果実』では憂理という少女が登場して、主人公の理瀬に「理を憂うと書くのよ」と自己紹介をする。なるほど、不思議な名だ。

語彙を充実させること。世界の網目の一部分をほんの少しだけ細かくすること。あるいは、知らない言葉ならそれは網を広げること。だからどうした、そんなことしなくてもいいではないか、とも思う。私としては語彙ノートをつけることにそこまで重みを持たせたくないし、もっと言うと、誰かに誇示するものではないので、これからもちまちまとノートにつけていきたい。最新調べた語彙はfuzzy ファジー である。