羨望と絶望

 映画「リズと青い鳥」のサウンドトラックをポータブルCDプレイヤーで二周する。最近(今日)のブームは、CDプレイヤーでサントラを聴きながら作業をすることである。CDプレイヤーだからこその有限性(検索できない、他のアルバム聴けない、早送り巻き戻し面倒、リピート再生面倒)が今の気分に合っていて、長くCDプレイヤーのことを好きになれたらいい。なれたらいいなと心の底から思っている。こればかりは私ではどうにもならない部分なのだけど。

 リズと青い鳥の予告のことを久々に思い出す。「誰しも感じたことがある羨望と絶望」というフレーズを自分がとても気に入っていることも、思い出す。

 羨望も、絶望も感じたことはあるにはあるだろうけど、羨望と絶望をセットで感じたことはないかもなあ、と思う(ありますか?)

 私以外の人間のことが羨ましい。なぜ羨ましいのかを考える。私には無いものを持っているから羨ましいと思う。そこで択が生まれる。私は努力してそれを得られますか。努力しても得られないですか。

【前者の場合】

・何故自分は努力していない(あるいは、してこなかった)のでしょう

【後者の場合】

・得られないものを羨む労力と、今自分が持っているものを愛でるのとでは、どちらが苦しくないでしょう

 持って生まれた環境というものがある。ハンデというものがある。アドバンテージもある。それは厳然として存在する。その上で、じゃあ自分に何ができるのか、できないのかを考える。私は、結局人間というものは、なりたいようになるし、やりたいようにやる生き物ではないかと思うことがある。もし、掴みたくて掴めないものがあるならば、何かが邪魔しているか、向いていないのに望んでいるか、あとは何だろう。まあ、色々あると思うけど(自分に正直でいないとか)。

 「羨望と絶望」という、ざっくりとしたものでまとめようとするからややこしくなるわけで、細かく細かく切り分けると色々面白いことが見えてくるかもね、と考えつつ、大まかざっくりと切り分けられない複雑な感情もまた味わい深いのだと、かの映画について思い馳せる。

 そういえば、最近まで「羨ましい」「羨ましい」とノートに書いていた「羨」の字を間違えて書いていた。漢字を四等分した左下は「にすい」だと思っていたけど、「さんずい」だった。