たっぷり1月15日

 体調は悪くない、という切り出しをしておいて、1つだけ。この1週間、朝起きると右顎が痛い、気がする。日中は痛まないのでおそらく寝ている間に歯ぎしりをしているのではないだろうか。であればまずいので早々に歯医者に行かなければならない。ああ、面倒。でも歯を無くすのは嫌なのでちゃんと行こう。

 最近、自分の所作がなんとなく粗暴(元々荒っぽいけど、輪をかけて荒っぽい)。穏やかに、そして自分を許せるようになんとか生きているつもりだが、どこか皺寄せが来ているのかもしれない。歪みで溜まったエネルギーはめぐりめぐって別の場所に転嫁される。点検しないと。他人の言動でいらつくことがあるならば、それは自分の心が整っていないのだ。

 スーパーの棚に、私の大好きな煎餅が陳列されているのを発見する。と、手前の商品の小分けになった煎餅の内、一枚がぱっきりと綺麗に割れていた。こういう場合、人は買わないものなのだろうか。買ってくれない気がするねえ、ならば私が食べるしかないね、とお買い上げ。割れていても味は変わらない。ちゃんとおいしい(食べながらこの文章を書いている)。

 思い出すこと。先日も書いたが、私はやりたいことを綺麗に忘れてしまうところがあるので、毎日毎日律儀に思い出す作業が必要。歩く、または、走ると、脳がいい感じに活性化するのか思い出すことが多い。部屋で椅子に座って考えこんでも思い出さない。生活に動きが必要。

 最近、他人の日記を読むのがしんどい。しんどい理由は色々あってここでは割愛するけれど、「私は誰かになることはできないしなあ…」というのが最終的にたどり着く、おなじみの結論になる。誰かがもがいていても私はそれを助けることができないし、ああ、この人と比べて私は駄目だなと思ったところで、思っただけでは何も変わらない。そう考えると、私はよく他人になりたいと思ってしまう。私のままで他人になって、他人の人生を生きられたなら、それはとても刺激的なことだ。

 KAGOMEの野菜生活を飲む。

 今日の状態の解説をすると、気持ちが妙に駆け足になっていて肉体が追いついていない。このまま何もしないと近日中に落ちるので、午後は運動してすっかり肉体を疲労させる。それで焦りも落ち着くと思われる。検証結果はまた明日確認しよう。

 輪行をしたい、というのを考え始めてから何年になっただろう。そろそろ折りたたみ自転車を買ってもよいのではないか。飽きたら嫌なので、ここ数年レンタル自転車でサイクリングをしたときの自分の感覚をまとめておく。

  • 自転車を漕ぐのは好き
  • ただし調子に乗りやすいところと、慎重な部分が顕著に出る
  • つまり「いけいけGOGO!」のモードと「事故らないよなあ、なんか怖いなあ」とモードが共存して、独特の精神状態に陥る
  • なのでヘルメットはちゃんと買いたい(かっこいいやつ)
  • 輪行したいのは、電車で出かけた際の行動範囲を広げたいから
  • 自転車に乗っていると写真が撮れない(結構重要ポイント)
  • 自転車に乗っているとメモできない(これも重要ポイント)
  • 自転車に乗っていると音楽をなかなか聴けない(イヤフォンは駄目)

 折りたたみ自転車を手に入れたらどこへ行きたいか、リストアップすると10個は挙げられたので、あとは持ち運び時の重さをどれだけ許容できるかと性能と予算のバランス次第かと思う。まだ自動車を運転する気にはなれない。

 再びスーパー。買い物をしていたら、たまたま卵が入荷したようで店内放送でお知らせ。たまたま売り場の近くにいたので1パックかごに入れたけれども、人がわっと押し寄せてきて怖かった。卵、今値上がりしているし、生活に密着している食材だから当たり前に買うのわかるけど、怖い。人間って動物なんだなとこういうとき思う。バーゲンとか早い者勝ちとか絶対無理。

 朝7時からチキンラーメンを食べるという暴走。チキンラーメンのあの味が無性に恋しくなること、ある。

 30分以上の映像が見られなくなっている恐ろしさ。映像を見ているとき、なんか暇だ、と思ってしまう。嫌な感覚だそれは。暇だと感じるのは真面目に見ていないからなのよね。でも、映像を本気で見ようとすると感情を消費することがわかっていて、それが嫌で疲れるから「見られない」と言っている気がする。なんだろう、感情をがつんと揺さぶられることを必要以上に恐れているきらいはある。自分が落ち込むことに対する恐れ。でも、落ち込んでも戻ることができるのだから落ち込んでもいいのでは? そうなんだけど、落ち込むときの惨めさったらなくて、それがめちゃめちゃ嫌なのだろうな。その点、自分が悪かったと思う。「落ち込んでもいいじゃん」「大丈夫大丈夫、そのうち上がれるよ。ほらこうやったら楽になるでしょう」という風に気軽に導くスタイルで。今さら間に合うだろうか。間に合うと思う。ちなみにこの現象は、映像作品がいちばん顕著で、書籍はそんなにダメージがない。小説はあまり感情移入しないのかもしれない。

 アロマというやつ、信じてなくて今も信じてないけど信じないままでも仕方ないので、物は試しでアロマオイルの小瓶を買ってアロマストーンってやつも買って、机の上に置いて、ときどき香りを楽しんでいる。アロマ、怖い。でも、いい香りであることは疑いようもない。

 図書館に行く。読めなかった本は諦める。そういう勇気が必要となる場所。

 久々に、「自分以外の人が読むかもしれない」という気持ちで、具体的なこと(これでも具体的であるつもり)をたっぷりと書く。日記とは違う文章になる楽しさ(これは日記じゃない)。楽しい。たっぷりと文章を書くってのはいつだって楽しいと思う。だいぶ精神が落ち着いたのでは? では午後もやっていきましょう。