泣きながら食べたことはない

 ドラマ「カルテット」の台詞に「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」というのが、ある、らしい。見たことはあると思うのに、そういう台詞あったよねえと断言できないふわふわとした感覚。

 誰かの背骨にもなってるだろうこの言葉、私は「うっさいなああああああ」と思う。

 そうだよね、そうだよねと、その言わんとするところは首肯するけど、でもさ「泣きながらご飯を食べたことがある」という事実はそこにあるじゃん、それってめっちゃ悲しいじゃん、辛いじゃん、と思う。思うようには進まない人生に対する八つ当たりかもしれない。

 そう。だから基本的には期待はしないようにしている。期待したものが手に入らないとき、悲しいから。手に入れたときの喜びより私は悲しさに対する嫌な感情の方が強いので、期待というものは抱かないよう生きている、つもり。

 

 悲しいというよりも、処理にエネルギーを要する出来事が立て続けにあって、そういう出来事は言葉を用いて形を与えないとなかなか落ち着いてくれないので、私はノートとペンを取り出した。

 書けば大体なんとかなる。本当に厄介なのは、言葉を与えられないままじわじわと堆積する日々の些細な出来事だったりする。

 

 こってりとしたものが食べたくなった。冷蔵庫から卵とピザ用のチーズを取り出して卵液を作った。茹で上がったパスタに卵液を絡めて、混ぜて、盛り付けて、胡椒をふりかけた。

 スプーンとフォーク、くるくると巻いたカルボナーラを口に含むと「期待通り」のこってりで嬉しい。チーズのコクが麺にしっかりと絡んでいる。

 冷めないうちに、ひたすら口に運んでいく。私は別に泣いてない。けど、「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」という言葉に、やっぱり「うるっさいなああああ」と思う。