オープンワールド

 クリームパスタが食べたくなった。生クリームとマッシュルームと厚切りのベーコンを買いに出かける。そういう買い物が好きだ。合理性とか倹約とかを抜きにした、食欲に駆動された買い物というのが。

 11月だというのに日差しは温かい。もう少し涼しくてもいいのにな、と思う。ウィンドブレーカーの袖を捲り手首を空気にさらす。ひんやりとした冷たさを感じる。

 ありふれた住宅地がきらきらとしている。歩きながら、私は先ほどまで遊んでいたポケモンの新作のことを考えている。世界は光って見える。

 ポケモンの新作はオープンワールド。広大な世界を操作キャラを動かして駆け回る。とても楽しい。楽しさの要素は枚挙にいとまがない。この楽しさは、しかし、ゲームの世界に限られたものなのだろうか。私はその気になれば自分が生きる世界を駆け回ることができるではないか。多分ここにあるのは、ゲームの世界の体力はほぼ無限で、私の体力は有限という違い。身体性の有無。

 ゲームの中でミントチョコアイスを食べる。現実世界でも食べれば?

 ゲームの中で見知らぬ人に話しかける。現実世界だと、ちょっと厳しいなあ。

 結局ゲームの世界でどれだけ何を為しても、それはデータ的に私のからだに蓄積されるに過ぎず、実感には程遠い。ゲームで遊べば遊ぶほどに、私は実際にこの世界を駆け回りたくなる。

 マッシュルームは高かったので代わりに香りが強そうなまいたけで代用した。ベーコンはちゃんとブロックを買って、厚めに切った。なんとか作ったクリームパスタはちゃんとおいしくて、生クリームが半分残っているからまた明日も作ろうと思う。

 

 多分、自分が生きる世界はきちんと美しいもので溢れているのだ。私がまだそれをちゃんと見て取れてないだけで。

 

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(グルトンと。ポケモンで遊びながら髪染めたくなったが、とはいえ髪染めるのが面倒という点も実にこの世界を生きているなという感じがする。生きることは面倒なことだ)

 

以下、ポケモンを遊びながら考えていること

  • 性別選択について
  • 操作キャラは自分の何を素にしている?限りなく自分に近いか、憧れか、または。
  • ポケモンにおける「ひんし」の概念
  • ポケモンバトルとは(あんまり戦いたくない気もする)
  • 大きさの概念(懐かしのポケモンが設定に割と近い形で3D化されたときの感動)
  • スター団(本作において悪ぶっている人たち)と学校の関係
  • 自撮り(何故自撮りをしたいのか)
  • 写真撮影(何故撮りたいと思うのか)
  • 推しポケモンという概念
  • 主張しない主人公がいかにしてストーリーの流れに乗ってくるか