カフェオレを飲みながら

 精神が死ぬ!と思ったので、上着を羽織って外に出る。寒い。冷たい。それがいい。コンビニに寄ってマウントレーニアのカフェオレだけを買う勇気。ストローでカフェオレを飲みながら歩く。

 国内最高齢男性が亡くなったというニュース。享年111歳。死因は老衰という話で、老衰かあ、いいなあ、と思った。そこから転じて「自分はどのように死ぬか」という話になる。昔から死ぬときは海へ入水自殺するものだと考えていて(川へ飛び降りは痛そうだから嫌だ)海の藻屑になる未来を常々描いているが、それはつまり死に対する自己決定権であり、お守りなのだと思う。いつでも死ぬことができる。そう思えることで生きることができるというお守り。

 上着の下は10年来の冬の相棒であるユニクロのピンクのフリースを着込んでいる。服。苦痛だ。人と会わなければずっと同じ服を着ていたいし、実際そうなってしまっている。サイズと服の材質に悩まされてきたというのが苦痛の主な理由だけども、服で以て自分を表現するという考えにもあんまり乗ることができなくて、ファッションって苦手だな、嫌いだなと思う。好きな服を見つけることを億劫に思うのはやめたいと思う今日この頃。

 散歩をすること。移動手段としての徒歩ではなく、純然たる散歩を毎日実践すること。何故か。思考を解す時間を作る必要があるから。スマホは見ない。パソコンも開かない。本も読まない。誰とも喋らない。そういう空白の時間を持たないとどうやら調子が悪くなる人間らしい。テキストを書くよりも散歩の方がいいと感じる。私の《考える》というのは「ぼうっとしている」ぐらいがちょうどよく、いちいち言葉にしていかないといけないテキストは、気持ちが良いと感じる範囲からほんのちょっとだけ外れる。「書けばいいんでしょ、書けば」とずっと思っていたので(もちろん書くことも大切なことだ)意外な発見だ。