待ち合わせの時間

人を待つということ。

私から言わせてもらえれば、それはとても滑稽なことのように思う。

誰かを待っている私をこの私が見る。

待ち合わせの駅の改札前でぽつねんと立っている私はとても不安そうに見える。落ち着かずにきょろきょろと忙しなく首が動いている。視力が高ければ、文庫本を持つ手が微かに震えているのがわかるだろう。そのうちに、何かを諦めたのか、私はばさりと本を閉じ、その代わりスマートフォンを取り出した。が、少し操作したところで天を仰ぎ、スマートフォン上着のポケットにしまってしまった。再び落ち着かない様子で周囲に目を凝らしている。

待ち合わせというのは、概してそういうものだ。弱くて、無防備。

では、待つのではなく、待たれる側になればいいのではないか。

いいや。待たれる側になったとしても別の苦しみが待っていることを私は知っている。

人を待たせるということは、鍵が自分の手のひらの中にあるということだ。主導権は自分が握っているということ。仮に待ち合わせ場所に向かって急ぐ足を止めてみる。そうすれば、私と相手は一生会うことはない。私と相手の間で何かが起こることはない。以上のことから、待たせるというのは、主導権を強制的に奪うという行為に私は思える。さてここで私は私に質問だ。私は何かを始める勇気はあるかい?

いいえ、ありません。

よって、私は先ほどから馬鹿みたいに突っ立って相手を待っている。

待ち合わせは13時。待ち合わせ場所は改札を抜けた先にあるひょろひょろと上に伸びた銀色のモニュメント、通称「豆の木」。現在時刻は12時53分。

「臆病者」の私は、震える手で読みかけの文庫本を開く。クリスティ―の『三幕の殺人』。

ああ! 私は一時間前の私を恨む。どうしてもう少しだけ読み進めていなかった? 場面は物語の導入部分。サタースウェイとだとかウィルズだとか、登場人物についての詳細な説明がただひたすらに語られる。待ち合わせの緊張で一切の情報が頭に入ってこない。どうしてよりによってこんな注意深さが求められる場面を、今、この瞬間、私に読ませている?私は文字と格闘することを諦め、苦々しい気持ちで本を閉じた。代わりにスマートフォンを取り出す。

惰性でTwitterのアプリをひらく。フリックで更新したがタイムラインに動きは一切ない。意思を持たないゾンビみたいな挙動だ、と私は思う。「新着情報を確認したい」という意志ではなく、Twitterのタイムラインを更新するという行為に憑りつかれている。溜息をついて、スマートフォン上着のポケットにしまった。

そもそも、だ。

駅の連絡通路を行きかう人をぼんやりと眺めながら、頭の隅っこの方で私は考え始める。

どうして待ち合わせという行為に対して落ち着かなさを抱くのだろう。人を待つこと、そこに対してどうしてここまで狼狽える?

待ち合わせじゃなければいいのに、と思う。今日の待ち合わせ相手と偶然街中で会うことができたなら。私はそれを僥倖と喜び、お互い暇を持て余していることを確認したら、すぐに空いている喫茶店に向かうだろう。すべての待ち合わせがそういうものであればいいのに。

私は物事を始めたくもないし、始められたくもない。明確な区切りなど不要で、時が流れるままに誰かと会って誰かと別れたい。待ち合わせなんて、嫌いだ!

「ごめん、待たせた?」

ぐるぐると煮詰まった思考を知っている声が裂いた。この人の声は馬鹿みたいだけれどごま団子みたいだなと真面目に思っていて、灰で黒のつぶつぶが混じっていて甘くて優しくて、今日も馬鹿みたいにごま団子の声だと思った。

目の前に立つ待ち合わせ相手は申し訳なさそうで、私は腕時計を一瞥すると朗らかに返した。あまりに穏やかな声で自分がいちばん驚くほどだった。自然に口が動く。

「待つことは好きだし、私が勝手に待っていただけだし、そもそも遅れてないよ」

待ち合わせ二分前のことだった。クリスティーTwitterも、自分は待ち合わせが嫌いなのだということも、頭から一瞬で飛んでいった。

私は相手に笑いかける。相手も私に笑い返す。二人は光が降り注ぐ方へ並んで歩きだす。相手の声に全神経を集中させながら、最後にちらっと頭をよぎったのは「この人と待ち合わせて嫌だと思ったことはないな」ということだった。

*** *** ***

 待ち合わせというものに遅れることは滅多にない。自分なりにそれはどうしてだろうと考えたときに、

  • そもそも待ち合わせの前に「もののついで」で予定を入れてしまう
  • たとえばそれは、買い物するとか公園に行くとか散歩をするとか、そういうもの
  • 自分で自由に変えられる予定を入れているので、遅刻をもたらす要素に対応しやすい

というからくりであって、断じて「遅れることへの恐怖心」やら「申し訳なさ」に駆動されているわけではない。

 待ち合わせに遅れないので大概誰かを待つことになるのだが、この待つ時間の中途半端さ、薄気味悪さというのが消えてくれることはない。それを残しておきたくて書いてみた。ごま団子のくだりはあまりに待ち合わせを怖がっている登場人物へのご褒美みたいな気持ち。ああ、甘いもの食べたい。