誰の人生にも影響を与えないワニ

 とある作業動画の音声をBGMに私も作業をしていたら「誰の人生にも影響を与えないまま死ぬのが嫌」という話になった。私にはその感覚がなかったのでとても驚いた。

 昔から、

  • 他人に影響を与えないように生きていけたらいいな
  • しかし実際は人間は一人で生きていくことができない生き物なので無理
  • 影響を与えてしまうのは仕方のないことだと自分をどうにか宥めてなるべくその点に関して意識しないようにする

というプロセスをとっていたので私は驚いたわけだ。

 件の作業動画ではその後、「だから誰かといたいのよ」という話につながる。一人は寂しいし、と。

 思うに、一人でも、二人でも、三人でも、十人でも、それぞれにそれぞれの寂しさがあって、おそらくそれは、どんな関係性であっても、私である限り拭えない寂しさだろう。

 私は寂しさを埋める為の手段として「誰かに会う」とか「誰かといる」をあまり選ばない人間だと思うのだが、それは、誰かと会うことのストレスの方が大きいからで(楽しさや面白さももちろん大きい)寂しさを舐めながら一人酒を飲む方が安らかという、ただそれだけのことなのかもしれない。私だって寂しいですけれど。でも思うに、生きることってそれ自体がとても寂しいことですよね? そして寂しさというのは永遠になくならないものですよね?

 

 ということを考えるのは面白いっちゃ面白いけど、愉しくないからなあ…、と思って、9月の写真を整理していた中で見つけたワニがとても可愛いので、これからはワニのことについて考えよう。