日報

 フィクションを書いている。何にもならないが結構たのしい。実践の場だ。歩くこと、走ること、泳ぐこと、登ること、あるいは筋トレに似ている。

 どうしたら書けるだろうかと試行錯誤するのも面白く、

  1. 手書き
  2. A4の紙
  3. ボールペン

というスタイルを仮固定として構築している。

 明らかに筆の進みは遅いが、デジタルではないのは表現が変に跳ねる気がするからだった。身の丈を超えるような、言い換えると調子に乗りがちな文章になって読んでてイライラしてくるので、すぐに手書きに切り替えた。スローだが、手堅い。

 A4の紙にしているのは気軽であることと、A4のコピー用紙が好きだからと、文字数がカウントできないからという理由だ。どれだけ書いたのか現時点で把握する必要はないと感じる。その枠もいずれは必要になるだろうけれど、今はその段階ではない。原稿用紙は嫌い。なんであんなにマス目が大きいのか。枠、枠、枠。嫌い。

 シャープペンシルではなく、万年筆でもなく、ジェットストリームの多色ペンで書いている。他の色は使わない。ただ一つだけ。これ好きだなと思った箇所には赤丸をつける。気安いがしっかりしている素敵なボールペンだ。文章を直すときは定規で線を引くか、もっと広範囲の手直しが必要な場合は上に紙を貼り付ける。そう、編集履歴がわかることも大事だと思う。立ち止まった場所はどこか、逆にするすると滑らかに進んだ箇所はどこか。視覚的に把握したい。

 そして、日報を書いている。毎日、書きながら何を考えていたのか。どんなところが難しかったのか。そういう思案の欠片を書いている。こちらは遠慮なくキーボードで書いていく(なんてストレスフリーで快適なのだろう!)。EvernoteユーザーだけどNotionのアカウントを作ってそこで記録をつける。Evernoteはプライベートな空間で、そこにフィクションの話を持ってくるのは何か違うと感じた。

 日報はいい。日報を書きたいがためにA4のコピー用紙に向かう、そんなモチベーションもあるのだった。つくづく自分は記録魔だと思う。

 日報は日記とは違うものだ。もっと確実に積み重ねるもの。何かを作る行為。日記は…日記も堆積だが、日記に価値は求めない。目的もない。よって、日記はもっと淡く儚い存在だ。私はより強い刺激が欲しいと思っているのかもしれない。フィクションは刺激的な営みだ。

 願わくばこの営みに飽きることがないように(飽きるほど容易い相手ではないが)。また、頑張りすぎないように。