むずかしい言葉

「えー、私むずかしいことわかんな~い」みたいな感覚が昔からずっとある。そういう自分をぶっ飛ばしたいような、しかし厳然としてそいつはそこに居る。

 たとえば常々私は難しい文章が読めないと感じる。でも、なんとなくわかる、とも思う。Feelingってやつだ。その「なんとなくわかる」が正しいのかは微妙なところで、私は「読めてないんだから自分の理解が正しいわけあるか!」と思っていて、なので「多分間違ってますけどね~」という前置きを欠かすことはできない。でもなんとなくわかっちゃうんだもん。それはそれとして取っておきましょうや、というスタンス。

 難しい言葉も自分はあまり使えないなあと思う。学生時代は「私って、勉強に向いていないんだな」と思ったものだけど、向いていないわけではなくて(むしろ向いている)なんでも直感的に把握してしまい言葉がただただ追いつかないらしい。無論、私は人に何かを説明するのが上手い方ではない。

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 東京都現代美術館の企画展である、MOTアニュアル2022「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」は、私にとっての「難しい言葉」だった。でも「わかっちゃう」ものでもあった。いや「わかっちゃう」というより「納得できる」の方がニュアンスとしては近いか。そうですね、その通りですね、という感じ。言葉がどう考えても追いついていない。もどかしく、さて、どうしたものかと思案している。

 芸術はその空間に立ち現れる、ということが私は好きだと思う。絵画の写真を撮ったところで撮ったものを見ても心があまり揺さぶられないのは、空間がないからだ。現代美術は空間も作品で、私も作品の一部に取り込まれる。楽しい。

 これからはもっと現代美術の展覧会に行こうと思う。電車旅、公園、美術館。定期的なリフレッシュ方法。