ジョグ vol.10

 走ることが久々なわけではなく(おかしなことに、ここ半年で八月は一番走った回数が多い、一番暑いのに!)走ることについて書くのが久々なのであった。

 まず外に出て思う。涼しい!!びっくりマーク二つ分の感動。ここから徐々に涼しくなり、半袖で走るのが厳しくなる、そんな季節がやってくる。信じられない。それでいて心待ちにしている。やはり夏に走るのは暑いから。

 自販機でペットボトルのアクエリアスを買う。走りながらキャップをごきゅっと外し、走りながらからだに流し込んでいく。冷たくて甘くて、おいしい。

 等間隔に並べられた街灯の光はかよわい。心もとない。それでいい。夜は暗い、そういうものだもの。ギラギラ明るい方がどうかしている。

 少しずつ距離を延ばすことにしているので、前走ったときより1分だけ長く走り今日のジョグはおしまい。あとは、とろとろと歩いて帰る。

 LEO「Losing Game」を聴きながら。頬に細かい水滴のようなものが触れる、自分の汗かと思ったら霧雨か、わからない、結局降っているのだかいないのだかわからない匙加減のままだったが。霧雨にあたるの、全然悪くない。

 歩幅は狭い。とにかくゆっくりゆっくり歩く。ゆっくり歩くだなんて昼間の私からしたら考えられないことだが、夜ならそれができる。自分を意識しなくていいし、今日の残り時間も考えなくていいし、ただただ歩ける。昼間だとそうはいかない。時間は限られている。やりたいこと、やらなければならないこと、向かうべき場所、常に何かに追い立てられている。それは休みも変わらない。できるだけ多くのことを為そう。時間の有限性を前になるべくたくさんという考え方自体は悪くないが、結果余白みたいなものが剥奪される傾向にある。束の間、ただ歩けるということは楽しいことだ。

 楽しく歩きながら、一方で私は自分が絞殺されることを考える。歩いているときに、誰かに刺されたりしたらとか、殴られたらとか、首を絞められたらとか、持ち物を盗られたらとか、そういうことを比較的ニュートラルな気持ちで考え、起こった際のパターンのうち蓋然性の高いケースを妄想してみる。この習慣みたいなものは、過去に身に迫った危険を感じたことがあるからとかそういうことではなく、強いて言えばサスペンスドラマの見過ぎなのだろう。

 

 調子が良いときと悪いとき、それぞれに至る起因みたいなものは何かというのを考える。どうしても体調の周期はあるが、それとは別でメンタル的なもの。いずれにせよ、昔より本当に整え方がうまくなって(それか感性が衰えたか)落ち込まなくなったのは助かる。