野菜ジュースと鰻

 この前の休みの話。鰻を食べるぞ、ということで「A」に行けと言われる。承知、と私は午後4時の外の世界を歩く。最寄り駅へと向かう。冷やすのを忘れた野菜ジュースをずーずーと飲みながら。通り過ぎた一瞬の間でわかった。アパートの1階、道路に面した窓は開いている。網戸ごしにタンクトップ姿の老人が見える。首を振る扇風機。それが夏だ。おそらく独りの夏。宇多田ヒカル真夏の通り雨』がよく似合う夕暮れ。そのアパートの、その一室の前を通り過ぎるときだけ時間の流れが極端に遅くなった。そこにある種の尊さのようなものを感じる。尊いという表現が適当か? なんというか、普通だけれど普通じゃない。日常のなかの、宝物のような一瞬。鰻について語るとき、私は野菜ジュースと網戸の話から始めなければならない。そうでなければならないと感じる。すぐに鰻から語ろうとするなよ、私の馬鹿野郎が、と思ってしまう。それはさておき。鰻はたいそうおいしかった。けれど絶滅させるほど食いたいものでもないし、一番感動したのは茶碗蒸しの底に埋まっていた銀杏のおいしさだった。銀杏はどれも味が一緒だと思っていたけれど、そうでもないことを知った夏。