風のこと

 自治体から借りたパルスオキシメーターを返さなければならなかった。別に「欲しい」とは言ってないけれど(なぜなら私は自分のパルスオキシメーターを持っていたからだ)強制的に、自動的に届いたパルスオキシメーター。それも職員の方が一つひとつ配送をしているのだと思うと無碍にはできない。誰かの命を救うことがあるやもしれないと思うと手元に置いておくのは落ち着かず、このような理由から近所のポストまで。封筒に入れたパルスオキシメーターを投函するのがミッションだ。

 サンダルに足を入れるとぞくりとした。やっと外に出られるのだという喜びのような、声にならない叫びのような、そういったものが全身に反響したと言ったら聊か大げさだろうか。外に出て玄関のドアにカギをさす。がちゃりとした感触が手に伝わる。やっぱりぞくりとする。

 いつの間にかしっかりとした熱帯夜がやってきている。しかし風も少し吹いている。「風だー」と頬が緩む。風だ。空気が動いている。湿っぽくて、でも涼しい風が。

 私は「ふふふん」と歩き始める。にやけていないだろうか。夜だから辺りは暗いし表情までは見えないかな。ふわふわと風に運ばれるように歩く。サンダルのクッションが弾む。歩いているということのただならぬ感じ。歩くということは当たり前なことじゃないんだ。参議院選挙の看板はどこかに行ってしまった。ポストは変わらずにそこにあった。水色の封筒を赤いポストに投函すると乾いた音がして、案の定このまま帰るのは惜しい気持ちになる。ぐるりと遠回りして帰った。もっと疲れるかなと思ったけれど大丈夫そうだ。また始めなければいけないことをどうか悲観しないで。