コロナ日記 vol.7

 平熱。起きた直後の喉の痛みは健在。相変わらず喋るとすぐ息がもたなくなる。注文していた野菜ジュースが届く。栄養が偏っているのでそれを補強する試み。体調が悪い時の和食はすごい。今日も今日とてアイスコーヒーを飲みたい。もう1週間も飲んでいない。私、アイスコーヒー好きだったっけ。喫茶店のアイスコーヒーが恋しい。もう中毒みたいになっている。15日発症なのでうまくいけば25日までの療養。ううう、2回の週末を犠牲にしてしまった。出かけられたのに。どこへだって行けたのに。

 正直に言ってみろ、お前は人生から刺戟を得ているのか? これはわたしにとってはなじみのない考え方だった。実を言うと、わたしは刺戟を望んだこともなかったのだから。

アガサ・クリスティ― 橋本福夫訳『蒼ざめた馬』より

 

 自分の興味関心を言語化するのもまた難しいことだ。本当に興味があることは言葉にしないものなのかもしれない。今うっすらぼんやりと考えていること。何故特定のイデオロギーや価値に引っ張られるのか、メンツとは何なのか、プロセスが蔑ろにされるのはなぜか、善人のような面構えをして他人の人生を貪ろうとする人間の考えることは何なのか、どうして他人を放っておかないのか。

 ノックなしに部屋のドアを開けられることになかなか業腹である。これは比喩でもある。どうしていとも容易く入ってこようとするのか。入ることができると思えるのか。虚を衝かれるあの感覚を味わったことがないのだろうか。

 見えたって、わかったって、それを変えることができるかというと話は別で、それならばいっそ見えない方が良かったのに、無知である方が良いのに、というのはわからなくはない。つまり、変えようと思って見ようとするから辛いのではないか。変えようと思う為の手段として何かを知ることがあるならば、私にとってはそれはひどく苦しい。知ることで結果的に何かを変えようとする方が気持ちはずっと楽。

 ZEBRAのSARASAクリップ赤0.5mmを使っている。赤文字で紙の余白に書き込んでいくのが楽しいからだ。

 比率の問題。バランスの問題。どう考えても内と外の割合が崩れている。

 奥日光に行きたいな、と思う。今年も結局心の準備はできないまま行かない夏になりそうだ。そうだ、もう青春18きっぷが発売されている! 今年は買うか買わないか、いいや、もし計画していることを実行するならこのきっぷは必要不可欠だ。タイムリミットは迫っている。私は結局自分にとって容易いことしかすぐに決められない。少しでも抵抗があることについては慎重になる。何も、実行しない理由などないのに。

 さっきからSEVENTEENの_WORLDを聴いている。聴く音楽がすっぱり決まらない夜はさっさと眠ってよろしい、こんな文章を書くのを諦めて! それでもパソコンの電源を落とせないのは私が亡霊だからだろう。もはや「何かを書く」という念で駆動する幽霊。幽霊が成仏できないのは何か未練があるからか。つまり私は今日に何か未練があると? 確かになあ。その通りだと思う。療養というのは生きながらの幽霊だ。SEVENTEEN、楽しそうなのがいいよなあ。最初、私は「あ、ずるい」って思ったんだよな。ずるい。自分たちだけ何かから抜けて、ずるいと。そうやって人は人の足を引っ張るんだなあと思うと本当に嫌な気持ちになった。見知らぬ人々の真っ白な腕が彼らのふくらはぎやら足首をつかんで離さない。その中に私の腕もあるような。他人の幸せを喜べないのは自分の心が不健康な証拠だぞ。そういう時は誰かをいよいよ呪いきる前に離れるのが正しい。自分から怪物になる速度を加速させる必要はない。それにしても良い曲。何が良いって、足並みがそろっているということ。自分が前に、ではなく、みんなで一緒に前への精神がうかがえる。

 寝る前にストレッチをして眠ろう。明日はもう少し面白い一日になりますように。