コロナ日記 vol.3

 「イチゴジャム」にショックを受けながら、いいや、寝たら解決するかもと思って眠った。

夜23:30頃、寝てたところ起きる。と、喉がめちゃめちゃ痛いことに気づく。はあ? 何故!? と困惑している。イメージとしては喉一面にイチゴジャムを塗った感じなのだが、そのイメージもよくわからない。

コロナ日記 vol.2 - 透明で不可能性

 改めて「イチゴジャム」を説明すると、全面的に喉が痛いという感じだった。べったりと赤々としたイチゴジャムが喉全面に塗りたくられ、イチゴの種一粒一粒がジャリジャリと痛む感じ。あるいはおろし金の表面だけが喉にべったり張り付いている感じか。まあ、とにかく喉が痛いということである。

 翌朝、イチゴジャム(乃至おろし金)は幸いにも消え去った。熱は37.6℃ほど。熱は下がらんねえ、と思って、カロナールを流し込む。なるほど、飲料を飲む際にまだ喉が痛む感じだ。あまり経験したことのない痛みに当惑する。思いっきり日焼けした時の肌の痛みに似ているかもしれない。

 喉がここに来てやられたからか、痰が絡んだ咳が出るようになる。咳は体力を消費するというのは、なるほど、わかる気がする。咳をしても一人。咳には独特の悲しさがある。

 

 夕方16:00頃。日中はひたすらだらだらしていた。何もしていない。それでいいのだけど、それでいいのか?

 どうせ下がっとるじゃろ、と思い、体温を測ると38.2℃と熱がぶり返していて、思わず心の中で「はああああ?」とウイルスに対してツッコミを入れる。何なの君らは(それを世界中の科学者がここ数年考えているのだと思う)。明日、調子戻らなかったら仕事休もう、そうしよう、と心に固く誓う。

 喉の痛みは相変わらず少しある。時々イチゴジャム(またはおろし金)が発動する。飲み物を飲む時に一番痛む。ということは、水分補給に対して少しだけ躊躇いが生まれるということになる。良くない。

 あと、指摘されるまで気づいてなかったが、この三連休、一度もクーラーを入れていない。熱が39℃台の時は流石に暑く感じたが、それ以前に空調の弱風でも当たると体が痛むため、クーラーを入れる発想にならなかった。扇風機が痛い。で、今日はというと、熱はあるがここ数日で一番体調がいい。外に出ないから気温も調べていない(それは調べろ)。暑くないし。そんな風に暢気に構えていたら、30℃越えの中、今日一日、自分が一切汗をかいていないことに気づく。え・・・? そんなことって、ある? 自分、汗をかかないタイプの人間ではないはずだけど・・・。そもそも暑いと思ってないし、めっちゃ過ごしやす~~~と思っていた。これが軽度の熱中症によるものなのか、コロナウイルスによる何らかの反応なのか、わからないのが困ったところだ。

 そういえば、自治体からの貸し出しパルスオキシメーターが届く。直前に見知らぬ携帯から電話がかかってきて「玄関前に置いておくので持ってってくださーい」と言われた。ラフだな。いいと思う。私は去年に自前のものを買っていたので必要なかったが、外出はできないし、回復してから返却することになる。発症日除くと3日目で届いたのでその点は気をつけたいところだ。三連休+感染者数増加というファクターがあるものの、欲しい時にないということがあり得る。

 夜18:00頃。蕎麦弁当。蕎麦まじで助かる〜と、わしゃわしゃ食べる。麺つゆは好きではないのだけどこの際我儘は言えない。黙々と食べる。

 体がぽかぽかしているので改めて熱を測ると38.7℃まで上がっている。不思議なウイルスねえ…と興味深さが勝る。風邪でもインフルエンザでもワクチンの副反応でもこんなことは一度もなかった。「無症状の人もいる」という点で賭けるには代償が大きいと思う。38℃後半になると余裕が無くなってくるので、さてどうしたものか、とりあえず解熱剤と喉の炎症を抑える薬を流し込む。この体温になって汗がじわっと出てきた。夏らしい。一体日中の私は何だったんだ。

 次、体重計に乗るのが怖い。食べる量も減っているが、運動量の方が極端に減っているので、筋肉量が落ちていること間違いなしだ。復帰後の「リハビリ」から考えねばならない(それはそれで考え甲斐があるというもの)。

 

 客観的に振り返ると、3日(発症0日目を含めると4日)熱が出ている状況は異常であると思われる(そりゃあ新型コロナウイルスですから)。メンタル的には問題なく、体力的にも消耗している印象は受けないが、果たして明日からどうなるか。

 と、思っていたところで自治体の人から電話が来る。祝日の夜にお疲れ様ですとしか言えない。熱が続いているので要経過観察対象なのであろう。水を飲め、熱が下がらなければ追いカロナールが可能か処方した医者に聞いてみるのもよい(つまり、一日のカロナール服用の限度量を確認せい)とのこと。

 

 治す気がないというわけではないのだが、頑張ること、頑張らないように工夫するのが面倒になっている。これが自分としても不快な状態であれば、我慢ならない状態であれば、多分私は「頑張る」だろうが、風邪やインフルエンザのように一通りのことをやってみたところで(薬を飲む、寝る、飲む、食べる)なんか新型コロナウイルスは効いてくれなさそうなんですけどー、という壁の高さがやばい。いや、それはメンタルが折れているってことでは。あとは悪い意味での適応力の高さか。熱が高くてもそんなにしんどくないのだ。やる気にならない。ぬるま湯の蛙か。なんか似てる構図だな。日本の若者の政治離れとか(ちゃんと投票には行ったし関心を持とうとしている)。

 なるようにしかならない、という自分の考え方を見つめ直す療養期間である。

 なんだろうな、休みの夜にまで連絡をくれた人に顔向けできないから、もう少しちゃんと療養をするべきなのだろうか、ということを考えている。そういうところクズだなと思う。表面的な生への執着のなさというか(別に執着がないわけではない)怠惰なところ。